(2024/1~3 V日記特別編) みけにゃんさんに思うこと

今月(今年最初)のV日記は失敗した。1月1日元旦から2月後半まで大変な体調不良に苦しめられ日記を書く気も起きなかったが、昨年の振り返りとして3月に入ってから書き始めたら論点が発散してダラダラと100pを超えてしまって没になった。自分の考えが整理しきれていない。1週間以上寝かせた今、改めて読み返すと、書くべきではない不要なものが6~7割あるとは思うから、没にしたのは正解だったと思う。

しかし、3月12日の出来事から、まだV日記そのものは整理しきれてはいないのだが、みけねこさんについては先に書いておくべきだろうと思う。

現在の、みけねこさんをどう評価するか?

自殺未遂があったあとの謝罪の中で「失望させたのではないか?」という不安を口にされていた。

この点については、軽々しく扱うべき事柄でないだけに、言葉も慎重に選ばなければならないのだろう。

実際に、一言でいうのは難しい。

自殺について考えを改めさせたいと思う人は、いろいろな罪を並べ立てるだろう。

宗教的にいえば、多くの宗教では、身体という入れ物も、魂でさえ、神からの借り物であり、丁寧に使って、うまく成長させて、神/自然にお返しするまでの責務を負うという考えもあろう。体を適切な管理をしなかった、魂を清浄に維持できなかった罪がある。それは他人に対しても言えて、他人の体や魂もまた神からの預かりもので、それを傷つけることは許されず、傷つけている人を正さないことも過ちである。天道に従って、自分ができるうるかぎり最後まで責務を全うする。このことからも他人の罪を咎めるのは義務である。故に自殺は許されないし絶対に止めなければならない。古典的宗教は、だいたい、そうゆう考えが多いだろう。

海外勢はキリスト教圏の人であれば、程度の差はあれ、これに近い考えだろうとは予想される。

あるいは、もっとも身近に一般的に分かりやすい罪は、人殺しである。だれかにとって大切な人を殺害することは、激しく怒りをもたらす重罪であろう。自殺とは、大切な人を殺した殺人の罪である。好きな人が死ぬことはとても悲しいことである。そして、好きな人が誰かに殺されることは悲しいだけでなく激しく怒り憎しむことである。だが、自殺は、大好きな人を大好きだった人が殺す罪であり、家族や恋人や関わってきた多くの人たちに、怒りと悲しみを、割り切れない深く解決できない苦しみをもたらすことになる。病気や事故ならば助けられなかったとしても、近くにいた人であれば自殺を防ぐことができたはずと思ってしまうからだ。愛していたからこそ楽しかったことを思い出すたびに苦しみ何年もずっと後悔しつづけることになる。良い思い出さえもが苦しみになる。その罪の重さは残された人にとって殺人以上のものになってしまう。

あるいは、みけねこさんは精神的に不安定になりやすい人であるから、その伴侶となる人は、妻の精神的な不安定さに影響を受けないような肝の座った、なかば無神経にも近いシンプルで豪胆な夫が望ましいのではないかと予想する。しかし、旦那は妻の不安定さを承知で結婚したとしても、生まれた子は、母が精神的に不安定だから、いつ自殺して居なくなるのかと不安に思わせてはならない。そのような心細い思いをさせるかもしないことの罪がある。離別の恐怖があるのなら子供は高確率で愛着障害になるだろう。将来、子供が母親の過去の自殺未遂を知った時に、もう過去のことで同じようなことには絶対にならないと思えるような安心感を与えることができるかどうか。しかし、豪胆な男性の子であれば、その不安に耐えられるかもしれない。現実的な問題として、みけねこさんが家庭を作るのであれば、旦那さんはどっしりしてないと、子育てに必要な明るく安らげる家庭は作れそうにはないし、みけねこさんの良さを活かすには感情を爆発させても吹き飛ばないようなシンプルな家庭が必要だろう。

簡単にいえば、その人が、ぼんやりと頭の中で描いた、幸せな子供が生まれて死ぬまでのストーリーを考えた時、どのような物語が描かれるのか?その誰もが想像する真っ当な生き方が、その人生の目標になろう。実際に生きるか死ぬかは、その人の価値とは関係なく、世界という物語から、いつ退場するかだけの話である。出番が終わった人にも役目はある。

しかし、私は、みけねこさんの親世代であろうから、それなりに経験してきたものは多い。

当然ではあるが、私は10代のころから、わりと好きだった声優さん、歌手/アイドル、あるいは漫画家さんといった表現者が、事故や病気、自殺などで活動を終える様子は見てきた。

その人たちとは完全に一方向性の関係で、相手は、私の存在すら知らない関係である。

昔はネットなどなかったから、その人が亡くなったことさえ、数年遅れで誰かの対談記事の中で触れられていて、「それで最近見なかったのか…」と気づくような有り様ではある。

いわば、人間関係が成立していない無関係な他人であり、ただ名前と作品を知っているだけである。

それでも、才能ある人が死ぬことは大切なものを失った喪失感や残念に思う、無念感がある。

むしろ、死後に作品を知って若くして散った才能を惜しむことも多々ある。

しかし、それはどうにもならないことでもあり、「世の中とはそうゆうもの=無常」だろう。

他人の死とは、それ以上でも以下でもない。

私は必ずしも、どのように死ぬかによって人の価値が変わるものではないとは思う。病気や事故と同じように、最後まで精一杯生きた結果として、それが自殺という終わり方であったとしても、それを否定してはならないのだと思う。

ただ残念に思う。

みけねこさんのツイキャスは、最近は、常時開きっぱなしにしているので、配信していないときでもファンからの書き込みがチラチラ投稿される様子を見ることができる。

あの謝罪配信のあとのツイキャスでは、「愛しているよ」という思慕の情が沢山書き込まれていたのを見ながら、仮に、みけねこさんが亡くなったあとだったとしても、同じように「ずっと愛しているよ」という思慕の情が沢山書き込まれていただろうと思えた。

みけねこさんにとっては一生に一度の出来事でも、私にとっては、それは、いつかみた光景である。

残念に思うが、失望とは違う。

この点については、みけねこさんが不満を漏らしていた、精神科医の先生が冷たかった、という態度にも通じるものがあるだろうか。

私も、かつて同じ部活で遊んでいた同級生が自死した事や、あるいは同級生の家族が自殺された話は聞くほどには、病気や事故で亡くなることと、さほど変わらない。

精神科医の先生であれば、数年も仕事をされているのであれば、助けたいと思っていた、精一杯努力して治療していたクライアントが、やはり自殺してしまうことは、一度や二度ではないだろう。

医者や弁護士といった職業の人は、クライアントの話を聞くことはあっても、共感してはならない/しすぎてはならない、という鉄則がある。だから、自分の家族や親しい人の弁護はできないし治療もできない。自分の大切な人が苦しんでいる様子を見て、正常な判断ができなくなるからだ。

医者や弁護士が必要なのは、その人を守り、治療するためであり、共感してしまったために、それが満足にできなくなるようでは、その役割を果たせない。

だから、冷たくても、良い医者・弁護士とは共感することではなく、正しいアドバイスをすることであり、必要ならば本人に恨まれてでも措置入院させることであろう。

それが嫌だといって医者や弁護士のアドバイスを邪険にして、親身に話を聞いてくれて共感してくれる、怪しげな霊能者や自称アドバイザー、オカルト民間療法を頼り始めたとしても、その性根を正せるほどに熱くなれる人は、それこそ天命を帯びた福音伝道師のような宗教家でもなければ無理だろう。(そうゆう人が必要な理由でもある。)

医者や弁護士は人を救いたいという気持ちがなければなれる職業ではない。しかし、全力を尽くしても助けられなければ恨まれる。弁護士も裁判官も因果な職業であり、勝てば相手から恨まれ、負ければ依頼者から恨まれる、救いのない職業である。毎回のようにクライアントと心を通わせていたら案件ごとに心はズタズタになる。

実際、精神科医は精神科医自身が精神病を患うと言われるほどには、クライアントの境遇を追体験してしまう危険性がある。クライアントの壮絶ないじめや暴力を追体験して、それを冷静に受け止めることのできる弁護士、精神科医というものはない。本人も病んでしまう。

だから、医師や弁護士に自分の苦しみを共感して欲しい、という希望は、本来は正しくないのだろう。しかし、共感ではなく、理解してもらうためには、本人自身が自分の境遇、心境について客観的に第三者的な立場から、自分は◯◯な状態である、という事実だけを申告できる、一歩引いた冷静さが求められる。それは高度な技術が要求される。

みけねこさんが医者に言われたという「だから僕のいったとおりになったじゃないか」というセリフや、別の病院に紹介状を書いてもらった話などは、だから、とてもリアルである。

実際に起きた出来事であると臨場感をもって信じられる。

自分自身が自分の一番の治療者であり、医師や弁護といった優れた治療者にアドバイスを求めるような関係であるかぎりは、治療も訴訟も成立するのだと思う。だが、自分の治療を放棄した時点で、一番の治療者がサジを投げた患者を、他のだれが面倒を見られるのか。機械的に処置するような、特別なスキルのある人たちに任せるしかない。

自分しか自分を治すことはできない、守ることができないのに、それを投げ出した人を助けることはできない。

これは本人の脳に焼き付いたパターンのようなもので、本人の意志だけで抗えるものではない。人は自分でも分かっていても同じ過ちを何度も繰り返すバグがある。

一度脳神経回路に焼き付いてしまったパターンは簡単には変えられない。これは文学的な比喩表現ではなく、実際の脳神経の仕組みがそうなっている。一度、強いパターンが生まれると、車のワダチのように同じパターンをなぞるように脳神経が活性化する。それが記憶、学習の仕組みであり、本質である。

性犯罪者が性犯罪を繰り返すのも、窃盗癖がある人が何度も窃盗するのも、DV男がDVを繰り返すのも、アルコールや麻薬中毒、ギャンブル中毒も、すべて、その仕組みである。

他人から見ても、もっとも分かりやすい事例が、薬物と性犯罪であろう。

性犯罪者はギャンプル中毒、麻薬中毒、セックス依存症と同じように、脳の報酬神経回路(快楽回路)が強烈に動機づけされているため、再犯率は異常に高い。DV、パワハラ、セクハラも然り。一度、チートに頼ってしまった人が、それに頼らない意思をもつことは難しい。

ジャニー喜多川のような地位も名誉もある人間が裁判に負けた2000年以降も、ヨボヨボになっても物理的に不能になるまでの2010年代まで継続して未成年者に罪を重ねていたとみられることからも、その矯正の難しさが分かる。(とりわけ小児性愛者の被害者は、成人よりも防御力が低いため、より被害が拡大する可能性は高い。性犯罪者にとっては成功確率が高く、且つ、ハイリスキーでもある、ギャンブル性が異常に高い行為である。普通の性犯罪者のような対処方法では不十分であるという指摘は、おそらく正しい。)

昨年夏にも、授乳室に隠れておっぱいを覗き見していた40代の男性が建造物侵入容疑での裁判をうけていたが、見せつけるわけでも何するわけでもなく見ているだけであったが、見ることに強い興奮を覚えていた。男性は最近にも類似事件を起こしていて、短期間に、同じ行為をくりかえしてしまっていた。もう二度としないと誓って恥ずかしい思いをしたにもかかわらずである。

そのきっかけは、河川敷で偶然女性が赤ん坊に授乳している様子を見たことからだったという。どうゆうわけか、それを目撃したとき、この40代の男性の脳に、強烈な興奮を引き起こす報酬回路ができてしまったのだろう。だから『一度、罰金刑を受けているにもかかわらず再度行ったことに対しては、「思いついたら後先考えない性格」、「性的欲求を満たしたかった」、「甘く考えていた」と率直に明かした。』と述べているが、むしろ、「こうすれば授乳が見られる」というアイディアが現実のものになる過程そのもの、その「期待値」が興奮できることであり、彼が特段意志の弱い人間だったというよりは、ギャンブルに弱いタイプの人間だったのだろうとは思われる。

まさに、2005年から2015年には、50代にもなっていた田代まさしさんが麻薬や盗撮を繰り返して、合計7年も受刑したにもかかわらず、それをなかなかやめることができなかったことは象徴的ともいえる。麻薬を断つことも、同様に、一度確立されてしまったフェチ回路を校正することも等しく難しい性質によるものだろう。

盗撮はフェチの類型でいえば視姦であり、サディズムに属する。自分が無理やり女性を裸にしているのと同じ興奮が得られるものであり、いわば罠にはめて女性の服を脱がさせていることと同等の成果を感じているからであろう。田代まさしさんくらい著名な人であれば、もの好きな女性とノーマルな性関係を求めるなら容易に得られるだろうが、それでは得られない強いギャンブル的な報酬が「盗撮」にはあるのだろう。合意性交では得られない背徳感、リスクがあるからだ。2024年の彼が更生できているかどうかは定かではないが、違法薬物を完全に絶てているのであれば、同じようなメカニズムの盗撮癖も絶てているかもしれないが、かなり困難は予想できる。

何度も更生したように見えながらも繰り返す人は多い。記憶を定着させるには「復習」が肝になるように、忘れた頃に、また快楽回路を学習させてしまうと、以前よりも強く記憶されてしまうから、再犯した人は、どんどん治りにくくなっているようなものといえるだろう。

これは快楽が強い報酬であるがゆえに、強烈に学習されてしまう脳の欠陥である。

メンヘラの自傷行為も、本質的には同じなのだろう。

薬物治療を受けた人も、リスカする自傷行為を人も、「もう二度とやりません、こんな思いはしたくありません」と言う。しかし、繰り返してしまう。

リストカットする人は、「すべての責務から自分が解放される」手段として最初に経験したあと、自分が追い詰められて心が耐えられなくなりそうだという不安にかられたときに、自分の心が潰れる前に予防的にリストカットして心を保とうとするという。だから、死ぬつもりというよりは、心を保つためのルーティン化している人もいるという。(だから、死んでも構わないと思っていたとしても、本当に死んでしまった場合は事故に近いのかもしれない。)

不安障害の人が、不安になって心が潰れそうな経験をすると、もう二度と、そのつらい経験をしたくないと、またパニックが起きるのではないかという、予期不安そのもので、またパニックが起きるようなメカニズムで、脳神経は、そのようなループ回路ができやすい本質的な脆弱性をもっている。(そのような生得的に不安に弱い人は、刺激の少ない環境にゆけば発症はしないだろう。治癒ではないが、実質的に問題は起きなくなる。)

だから、治るかどうかは、結論的には「もっと良い報酬回路ができたとき」になる。もっと良い方法があると知ったときに、報酬回路が上書きされる。それまでは、同じ回路が繰り返し使われてしまう。

報酬回路が上書きされるまでは、同じ行為を繰り返してしまったとしても、脳の仕組み上、そうゆうものだとしか言いようがない。ここに意志の強さとか関係ない。

このような依存性の強い、本人もコントロールできない感情の面倒ごとに延々と付き合うには、周囲の人間にも、相応のスキルが必要ではあろう。

だが、逆にいえば、書き換えることができれば治るということでもある。

効率よく気持ちよくなるギャンブルにはまっている人でも、めんどくさい地味なゲームに興じられないわけではない。そこに別のインセンティブがあればギャンブルが陳腐なものになりえる。

あるいは、瀬戸内寂聴さんのような、若い時には恋愛ジャンキーな人が落ち着いた頃には最終的に仏門に入るような、刺激よりも穏やかさに価値があると選択するような仕組みであろう。

みけねこさんがメンヘラであるかは微妙なラインではあると個人的には思っている。

みけねこさんが薬を大量に飲んだというツイートは1年以上前にもあり、そのときには、はたしてリアルで、みけねこさんの連絡先を知っている弁護士さんに電話をいれるのが正しいだろうか迷ったということを日記に書いた記憶がある。

あのときは、自分にできることはない、自分が動くべきではない立場だろう、という結論であり、それで正しかったのだと思うが、また、今後同じようなツイートがあったときに、同じように傍観するのが正しいようには思えない。(とはいえ、何かできるかは分からないが。)

この1年以上で、みけねこさんを、より深く知ることができたし、私だけが一方的にみけねこさんを知っている関係ではなく、みけねこさんも私のハンドル名は知っているくらいには、縁が生まれているとは言える。(互いに本名を知らないとしても)

もし、みけねこさんが亡くなって骨になったとき、足の小指の骨でも分けてもらえる関係ならば、1~2年ぐらいは理趣経を唱えて供養しようと思える程度には、憐れみは持てる。

(もし素性の知らない得体のしれない人ならば、お金をもらっても供養など関わる霊的リスクは犯したくはない。知らない人の遺骨など不気味なもの以外の何者でもない。)

みけねこさんの中高校生時代の激情的なエピソードを聞いていれば、生得的に感情のコントロールが難しい人であることは確かであろう。生まれ持った気質なのだと思う。それは才能でもあり、世に秀でる者のエネルギー源でもある。内にあるエネルギーを持たない人は技能があっても世に出ることはできないから、その点で「優れた欠点」ではあろう。

一方で、最近も、みけねこさん自身が、「私もにゃんにゃんしたいよ、彼氏ができたら落ち着くのかも」という感じに話されていたことからも、分かりやすい支え・保障を求めたい「依存的」な気持ちがあることが最近は特に垣間見えるから、たしかに依存的なメンヘラ的気質は多少もっていた人ではあるのだと思う。

どこかの書籍だったかで「自立するという事は、誰か一人に依存するのではなく、沢山の人に依存することだ」と言われていたが、まさに、そうなのだと思う。沢山の人に支え支えられているから、だれか一人にすがったりはしない。そうなったときが、だれか一人にすがらなくても、人の世の情けにすがれるようになったときが自立なのだと。

私には、そのように、みけねこさんが強くなる過程を見たいという気持ちがある。

一方で、もしメンヘラであれば、自分の頼りなさ、心許なさを他人との結びつきの道具としての恋愛で埋めようとするから、半年以上も異性をつくらずにいることは考えづらい。

まさに、精神安定のための頓服薬として、その場しのぎ的に男性を求めているのであり、だから男性と付き合っても一時的な満足でしかなく、本当の心の安定・安心は得られない。

20代で男性経験が20人以上いる女性は、たやすく関係を深めようとしながらも1年も人間関係を維持できないということだろうから、心が病みやすいかに関係なく、精神的な問題があるだろうとは考えられる。男性で女性経験が豊富な人は、もとから安定した人間関係を求めていないだろう。対して、女性は、ほぼ一方的にリスクがある性交関係において、それを承知で、人間関係を深める道具として性を道具にしているか、自暴自棄になっているか、どちらかであろう。(本当に無頓着な人もいるかもしれないが、私の理解では考えにくい。)

みけねこさんは激情的で感情のコントロールはできないタイプではあり、その点で病みやすいとはいえるだろうが、異性に依存するタイプではない、とは思える。

だから、メンタルヘルスに問題がある、という意味でのメンヘラではあるかもしれないが、いわゆる漫画やアニメに出てくるような男性依存症的なメンヘラではないだろうと思う。

今回の自殺未遂騒動も、きっかけは配信活動の悩みだったかもしれないが、もともと生得的にもっている精神的な不安定さ、感情のコントロールの難しさが根本的な部分であって、人生の様々な悩み事があるたびに、そのたびに不安定になるだろうことも想像できる。

この騒動の少し前から子供が欲しいとか、(私は見逃したが)顔出し配信したり、少し胸元を見せる写真だったり、3/10には入院中でできなかった誕生日プレゼント開封配信をされていてリスナーとの親愛を確かめていたし、最近のツイキャスでも、自分のおっぱいの形が可愛らしいと思っていると話したり、衝動的にヒアルロン酸を口元に入れてみたり、ここ最近の動向から「自分の肉体性の魅力について持て余している感」があって、最近の気持ちの不安定さのベースは、愛欲的/性的な気持ちの高ぶりもあるのでは?という感はある。

あるいは、たしかに何かに依存したい、頼りたいという気持ちははっきりと見えてはいるから、仕事が無くなるなどの目に見えて活動できなくなることで、自尊心が低くなっていることも伺えるところある。そういった、もろもろな気持ちがごちゃまぜになっているような感もなくもない。単純な1つの感情ではなさそうには思える。

男性依存のメンヘラとの違いがあるとすれば、だれかに依存することで自分を支えたいという代償行為が主たるものではなく、自分の心の中にある単純に感情が高ぶりやすい人がメス猫的発情期に入ったような不安定さが強いという違いというべきだろうか。

だとすれば、似ているが、まったく違うものだろう。

最近、みけねこさんから「ガチ恋して欲しい」という言葉を聞いたが、これも男性に媚びるものとは違うのだろう。自尊心が後退し、不完全感が戻ってしまったのだろうなぁ、という予想もできる。仕事が失われるなどがあり、また不安になってしまったのだろう。

だが、すがるような愛情の先には、おそらく、依存というものになってしまう。

恋愛ジャンキーとしての男性依存ではないが、だれかに依存したいという気持ち、支えて欲しいという気持ちではあるのだと思う。

案の定というか、「引退しようかな」など弱音も吐かれるような、揺れもあった。

しかし、撤退した先には自分の自尊心が満たされることはますます遠ざかるだろうから、一般論として言っても、自分の道を挫折する形で、自分の自尊心が回復することはない。

このあたりの将来への不安を予期すれば、一生アンチに付きまとわれ奪われつづけるのかという徒労感を感じたのであれば、まともに考えても考えもまとまらないだろう。発狂している相手の気持ちがいつ落ち着くかは、相手の状況次第であり、こちらがなにかできることはない。冷静になれない人と話はできないことは言うまでもない。

同様な迷走の1つとしてビリビリでの活動という誘惑も見られた。

もしビリビリでの活動をゼニゲバ目的で考えているのなら、私は賛同できない。

結局、るしあ時代に間違えたような、ガチ恋的な勘違いをさせて「おぢ❤」へお金をせびることが目的の活動であるのなら、そのうち爆弾を抱えるオチが見えている。

ほとんど言葉が通じないファンに向けて、それでも自分のファンを金銭抜きにしても増やしたい、るしあ時代に置き去りにしてきた人たちを、改めて迎え入れたいという意欲があるのであれば、その気持そのものは正しい事だとは思う。だが、るしあ時代でも、ビリビリには力を入れてなかったし、そうゆう気持ちがあるとは、にわかには信じがたい。

とすれば、活動範囲を広げることで収入源を増やしたいという意味なのだろう。

YouTubeとツイキャス、Twitchのファンだけでは将来が不安だとしても、だったらビリビリで活動したら不安がなくなるのか?いくら稼げば不安がなくなるのか?を突き詰めれば、ファンが減るのが怖い、見捨てられるのが怖い、という理由にゆきつくのではないか。

だとすれば、事務所に入ろうが、ビリビリで活動しようが、何をしても安心感は得ることはできないだろう。「結婚すれば幸せになれるはず」という発想と大差はない。

YouTube, Twitch、ツイキャスと活動しており、名義も、みけねこ、飴宮なずな、恋糸りあと、守らなければならない陣地が広すぎて、さらにビリビリまで手を出すのであれば、きちんと十分に活動ができるかは、やや疑問だろう。チャンネルだけあれば勝手に収益が増えるわけではなく、それなりに本腰をいれなければならない。

また、ゼニゲバ目的ではなく、中国大陸のファンを獲得するという意味で活動したいのであれば分かるが、おそらく、そうゆう動機ではないだろう。「翻訳組もつけて、チャンネルのサポートもしますから、配信に来てくれるだけで楽に儲かりますよ」というビリビリ運営からの熱心なオファーに心が揺らいでいる部分が大きいように思える。

今は、将来の不安など、心が不安定になっていることは確実だろう。

であるならば、なおのこと変化のあることは避けて、粛々とルーティンをこなしてやり過ごすのが当面良いのだろう。

だれかにすがりたいという気持ちが、みけねこさんには昔からあるようだ。

しかし、安定していないときの考えはろくなものではない。なにごとも中庸が肝心とは良く言ったものである。

また、いまのみけねこさんは、男性に媚びて性的に釣っている感じではないが、媚びているかどうかにかかわらず、このように見えるものは男性にも女性にも危険ではあるとは思う。

女性同士の場合は牽制し合うもので、同年代の結婚報告は自分とは関係ない子だったとしてもナーバスになるし、エロで釣る女性は別の女性たちからは嫉妬・軽蔑されるだろう。

みけねこさんの胸元が見えるムーディな写真に、なかば嫉妬するかのように反応していた人がいたのも、そうゆう理由だとすれば理解できる。(あれは女性だったと思う。)

一方で親しくなりたい異性に自分の魅力を伝えたいために露出の多い服を着たりするのも女性としては普通のことであり、たぶん、女性間には複雑な駆け引きがあるのだろう。

今回の騒動の遠因ではある、まふまふさんとの結婚と離婚報道は、まふまふさんの女性ファンからすれば、離婚していようが、どんな分かれ方をしていようが、そもそも憧れの男性と結婚した時点で妬み、嫉みで嫌がらせされるようなものであり、どうにもならないだろう。

何の非もない羽生結弦さんの奥さんが結婚前からゴキブリ呼ばわりされていたように、その女性ファンたちに、自分たちよりも上位であると納得できるような相手でないかぎりは、嫌がらせは延々と続くことになるだろう。納得などできないからだ。

2年前の騒動と今回が違うのは、体感的には女性からの反感が強いことであろう。まふまふさんをいじめたから、という分かりやすい口実をつけているが、仮に夫婦円満であったとしても難癖をつけてきた人がいることは想像に難くない。

許せない気持ちの問題だから理由など関係はない。

他方、男性から性的に釣っていると思われることの危険性は、もっと分かりやすく簡単だ。

Twitterに投稿されていた動画で、バカな女性観光客が野生の象を写真映えするスポットにおびき寄せるためにバナナで釣って歩かせるが、女性観光客がバナナを与えるつもりではなく、自分を歩かせるための釣りだったと分かったときにイラッとした様子で大きな牙で女性を小突いて転倒させていたが、敬意のない釣り行為は痛い目にあわせられたとしても当然であろう。(本当はバナナを与えるつもりだったとしてもである。バナナ釣りのような人間の遊びに付き合うのはバナナを食べなくてもいい象だけだろう。)

猫も犬も、人間から敬意のない釣り、馬鹿にされたりすれば不機嫌になる。ましてや、性に飢えている人間の男性が、からかわれて余裕ある返しができるなど思うほうが可笑しい。

人間の若い欲求不満な男性は、エロいお姉さんに挑発されたら不愉快になっても、暴力を振るうわけにはいかない。だから、荒らして挑発し返すしかない。これを不愉快に思わないのは釣られない、つまり満たされている男性だけである。しかし、バカなのは、この女性観光客のような、品位の無い釣り行為をした側であることは言うまでもない。(ガチ恋釣りなどは最たるものだろう。)

そのような意図がないのだとしても、そう思われたら同じことである。

もし、みけねこさんの最近の気持ちの不安定さが、愛欲的/性的な気持ちの高ぶりによるものであるも含むのなら、そこは自覚的に振る舞ったほうが良いのではないか、と思う。

怒りは自覚するべきもの

また、これに関していえば、みけねこさんの「怒りは無い」という心がけは良いと思う。

怒りとは自分をも焼く業火、焼け石だからだ。持っているだけで痛みのあるものである。

だが、怒りを感じないことは正しくはない。

しばしばキリスト教文化のひとたちが仏教的思想を誤解しやすいところだと思うが、「怒りを捨てる」とは「怒りを自覚して、それを手放す」、「不都合なことを知覚しても、すぐには反応しないこと(忍苦)」ということであって、怒りを感じないことなのではない。

自分が怒りに囚われていることに気づき、怒りに執着しないこと。

怒りは生きるために必要なエネルギーで、現実に生きている証明のようなものだろう。

どこで知ったエピソードだったか忘れたのだが、たしか欧米の人だったかで、仏教を揶揄するような文脈で「高名なダライ・ラマでさえ、フランス訪問したとき、ミシュラン・レストランの予約ができなかったときに不機嫌になっていた」という話があったと思うが、怒りを感じても、それに対して報復しようとか考えず、すぐに「ああ、そうか」と捨て置くのが、求められる姿勢であり、だとすれば、このエピソードはむしろ正しい仏教者のあり方がよく分かるのではないかと思う。(ネットで検索してもみつからないので、違うエピソードかもしれないが。)

また、私自身憧れていても到達できそうにないのは、「Good and Simple」な、後腐れのないすっぱりとした性格だろうか。私のようなジメジメした性格とは真反対ではあるが、あこがれてはいる。このような性格は男性に限らず、むしろ女性にこそ相応しい性格にも思える。

本当の意味で、怒りに囚われないとは、こうゆう人の生き様なのだろう。そんな人が晩年にキリスト教の洗礼をうけたのは興味深くもある。

みけねこ改みけにゃんさんと、まふまふの結婚と離婚について

芸能週刊誌に、まふまふさんが「結婚して離婚していた」ことが暴露された。

同様に、みけねこ改みけにゃんさんも声明を発表した。

この件で案件が全部なくなるなど、これまで順調にすすんでいた仕事がなくなったことに、姓名診断で「みけ・ねこ!」の仕事運が大凶だと知って、「みけ・にゃん」に改名してみたりしているようであるが、「みけ・にゃん」「みけ・ねここ」でも、まだ仕事運は良くはない。

しかし、「大谷翔平」は天も人も仕事運ともに運勢は悪く、「藤井聡太」も凶と大凶の多い良くない診断になるし、逆に「堀江貴文」は家庭運が低い以外は大吉か大大吉なのに一度収監されるような他の人がしないような失敗もしており、まあ、大成功も大失敗も名前など関係なく、運も不運も実力で開くものということなのだと思われる。(もし、芸名を考えるのなら、画数より、わかりやすくて親しみやすい名前が一番であろう。)

それはともかく、この週刊誌報道から、2022年2月に、ホロライブからの契約解除のきっかけとなった、「まふまふ」さんからのディスコードバレの当時の隠されていた、いくつかの真相が明らかになったことは、私にとっても興味深いものであった。

まふまふさんの説明によると、「2021年の夏前から交際をはじめ、その12月末に入籍をし、2022年7月に離婚をしました。」とあり、これは、みけねこさんも認めていることで、事実であろう。

ぶっちゃけいえば、二人の間の痴話喧嘩であって、ファンは、それに巻き込まれているだけではある。

しかし、これが単なる芸能タレント間の浮世めいた痴情のもつれでは無いのは、もともとファンを混乱に巻き込んだのは二人でもあるからだ。

ネットのタレントは、双方向性あるメディアによってファンと接しており、ファンに「自分ごとのように」自分に巻き込むことで、コミュニティとして勢力を拡大してゆく。

自分ごとのように感ずるから熱心にコラボショップにも足を運ぶし、自分ごとだから、身内としてお祝いごとがあれば喜んで祝福する。

この性質はテレビや舞台などの一方向メディアの、距離を引いた自制的な憧れよりも、ずっと距離の近い本気になりやすい性質がある。

ファンにとってもタレントとしても人として応援したい/されたいというポジティブな面もあれば、裏切られた感の強い/恨まれやすいネガティブな面もあって、まさにネットの時代の新しいタレントの特性であろう。

共感の強さは反感の強さでもある。

ファンのような立ち位置の人間が、逆に、タレントから直接恨まれたり小言を言われたり晒されたりするのも、これまでにない珍しい業態ではあろう。ここは、ただのテレビアイドル、テレビタレントなどとは明らかに違う。一方向性ではなく、真に双方向性である。

そのような距離感と関係性でありながら、ファンにガチ恋売りをしていたのであれば、二人が自ら、自分たちのファンを自分の恋愛問題に巻き込んでいたという他はない。

だから、ファンも、正しく、この恋愛問題の当事者である。

みけにゃんさんも、まふまふさんも、ネットをメインで活動するタレントであるから、遠くから野次を飛ばすだけのマス系メディアの1対Nではなく、ネット上の1対1がN個ある関係であり、つまり「本物の意見交換/口論ができる関係」がある。ファン側も、テレビに向かって愚痴を言うような軽い気持ちではなく、(いちいち反応するかはともかく)相手から認知されえる関係性であることは間違いない。

だから、沢山の人から応援され、沢山の人から恨まれもする。

ここについて、少し思うところを書いておきたい。

【人は記憶で人生を追体験することができる】

私がVTuber界隈をみていると、自分が体験できなかった青春時代を、仮想的に追体験できるような、そうゆう界隈であることが、私が強く興味をもっている理由の1つであろう。

20歳前後のころの自分に言いたいことは、

  • 他人が何を感じ、何を考えているのかは、その人の頭でないかぎり、分からない。
    • 人間は自分の目、耳、鼻、口と体の感覚器と脳細胞が接続されて現実を認識している。当然、他人の感覚器とは接続されていない以上、他人が何を感じているのかは厳密に体験/理解することはできない。
    • あるいは、同じものを見て、同じものを聞いて、全く同じことを感じていたとしても、その受け取り方は人により異なる。その人ごとの経験の背景が異なるからで、その出来事の意味合いは人により変わる。
  • しかし、人間が他人を理解できるのは、他人の状況を自分に当てはめて追体験できるからである。
    • つまり、相手がどのような状況にあるのか知ることで、自分が、その状況にあった場合の自分自身の反応を確かめることができる。
    • 自分自身の体験を自分で追体験しても、同じように人生を再体験できる。
      • 楽しいことの追体験もあれば、恐怖を追体験することもある。(トラウマ)
      • 人間の心には、いつの体験なのか過去か未来の区別がなく、自分の出来事なのか、相手の出来事なのかも区別することなく、ただ今与えられた感覚情報に対して反応する。したがって今感じている恐怖のような感情が、過去の再生であるのか、未来の想像であるのか、他人のものなのか、心そのものは分かっていない。(だから、ドラマなどの創作物をワクワクして楽しめる。)
    • 精神的に追い詰められている人の状況を追体験する場合、同じような追い詰められる苦しみを経験する危険性がある。そのため経験者、専門家でないと難しい。(精神科の先生や犯罪に関わる弁護士さんは、クライアントのトラウマに向き合うと「しんどい」ため、先生自身が病まないように先生自身が定期的にカウンセリングを受けている人もいるという。)
    • しかし、これらの追体験は、現実ではなく、どんなに精度が高くリアリティがあったとしても、仮想のものでしかない。現実に起きていることと、自分の頭で当てはめていることを、混同してはならない。常に、その差異を計測して現実感をキャリブレーションすることが知性の活動である。
    • よいキャリブレーションのためには、情報はたくさんなければならない。情報を秘匿することは、その意味で、邪悪である。意図的に嘘をつく、キャリブレーションにとって重要な情報を隠すことは、社会にとって悪である。
  • 人間が他人の状況を自分に当てはめて理解できるのは、相手と同じ形をしているからである。しかし、同じ形を持たないものの状況は追体験することはできない。
    • 男女であっても、同じ人間として追体験できる経験もあれば、生理的・肉体的な相違で、自分では追体験できないこともある。
    • たくさんの追体験をすることで、相手の考えが理解できるようになる。
  • 人生の悩みの大半は人間関係であり、動物や植物の生涯が、個体によらず予測可能であるように、人間関係は過去に繰り返されてきたものと、ほぼ同じものを辿る。
    • つまり、人生の大半の悩みは、過去に、だれかが経験しており、且つ、誰かが解決している。
    • したがって、過去であれば誰か物知りを探し歩けば、その答えは得ることできた。現代は、ネットと書物により、人類の叡智にアクセスすることは更に容易である。

20代のころ、心理学に興味があったものの、いろいろ図書館などで調べた結果、「男性は女性の気持ちが分からない」「男女は互いの心が分からない」という「文学的な俗説」を、そのまま受け入れて、「人は他人を理解することはできない」と結論づけて納得してしまっていた。それで、それ以上、深く考えることを止めてしまっていた。

ここ最近になって脳科学や人類学の進歩により、人間の動物としての性質から他の動物と同程度には理解可能なものになっている。

(自分の人生に活かせるかどうかはともかく)、他者を理解することは科学的に可能だし、理解できる前提がなければ、そもそも社会が成り立つはずがない。理解度とは0か100ではなく100はあり得ないが、しかしマクロで見れば相当な精度の高さで互いを理解できているから社会は成り立っているし、それが完璧ではないから、多くの社会問題や、イザコザが起きているのだと考えられる。

犯罪などで警察が事件の背景などを調査するのも、動機の解明をするのも、それが「どのようなことが起きていたのか?」を当事者以外からも正しく理解するために必要だからだ。

それによって、社会で、どのような問題が起きているのか、国家が把握できるようになる。

なぜ、このようなことを書いたのかといえば、今回の双方の発表には、すこし相違点はあるものの、概ね当時何が起きていたのかが第三者からも、よりはっきりと形が見えてきたことで、二人がどのような体験をしたのか、ある程度推測できるようになったのではないか?と思うからである。

【まふまふさんへの評価】

今回、騒動の前後で二人が結婚して離婚していたという事実から、あのときに何が起きていたのか、よりはっきりしたことで、評価を改めた人たちがいる。

まず、「まふまふ」さんであろう。

私は、「みーちゃん」宛の「しごおわ/仕事終わり連絡」ディスコードが配信に漏れたあとの、「まふまふ」さんの、交際や同棲を否定し、彼女とは何でも無い、という姿勢をみせたことで、「るしあ/みけにゃん」さんが、あっけなく捨てられたことに悲しみや怒りや動揺・混乱がおきて、パニックのようになっていたのではないか?という推測をしていた。

お騒がせしている件に関しまして
この度は軽率な行動により、多くの誤解を招いてしまい本当にごめんなさい。
お相手の方とはゲームを通じて仲良くなり、昨夜もゲームをしようと連絡したところ、多くの方に不快な思いをさせてしまいました。
同棲などの事実はございません。
本当に申し訳ありません。

https://twitter.com/uni_mafumafu/status/1492037228520181760

これに対して、みけねこさんはツイキャスで「全部ひどい、全部ひどい、スマホ見てください。さよなら」と語っていたことから、このような公表は不本意であったことは予想できた。

当時の私の想像では、ディスコードが配信に漏れたのは意図的であり、しばしば女性タレントが交際を明らかにできない関係も「匂わせ」をしてしまうように、「自分が彼女であることを宣言したい気持ちが行き過ぎた行為」だったのかな?という印象はあった。(実際はDiscordの問題だったようだが、いまでも、その線はあったのではないか?という気もしなくもない。)

だから、「るしあ/みけにゃん」が、まふまふまさんに期待していたことは、「ファンのみなさまに騙すような形になってすみません。彼女とは真剣なお付き合いをさせていただいています」みたいな交際宣言を出してほしかったのではないか?と思っていた。

結局、交際宣言は出さなかったわけだが、その2年後に、当時すでに結婚していたことが週刊誌に暴露されて、今更、そのような事実を公表したのだから、当初から結婚していたことを明らかにするほうが、人としては誠実だったのではないか、という感はある。

あのとき、きちんと真実を話していたら、騒動が、もっと大きくなったのか、それとも憶測が憶測を呼ぶような状況にならず、いまよりは多少はマシな状況になっていたのかどうか。

今よりは悪くなることはない気もしないこともないが定かではない。

だが、本来、隠すべきことではなかったのだから、損得は抜きにして、いいかげん腹をくくって覚悟して公表するべきだったのだろう。

しかし、今回の報道で予想外だったことは、「まふまふ」さんが結婚という誠意を、すでに見せていたということだろう。

まふまふさんは結婚という法的責任をきちんと負う選択をしていた。

結婚は、戸籍という一種の「登記」のような、公的に管理される法律行為であり、また婚姻中の不貞行為は、法律上の不法行為とされる。ただの「男女交際」などというものではない。

交際がマスメディアに発覚したからといって簡単に捨てて良い関係ではない。

したがって、まふまふさんが結婚という責任のある判断をしたということは、どこかの遊び人のように「都合が悪くなったら、女を軽々しく捨てようと計画しているような、軽薄な男ではなかった」と見て良いのではないか?

ずる賢いタレントなら、結婚などせず内縁にしておいて、それで二股三股するような男は少なくない。

しかし、彼はそうしなかった。その点は強く評価しなければならない。

先月も、テレビにも出演していた「若新雄純」慶応大学准教授は、新しい家族の形として婚姻しない家族形態でパートナーも子供も作っておきながら、その信頼をうらぎって、結婚していないから問題ないとでも考えていたのか、他に二人の女性とも交際してランクづけしていたという、男から見ても最悪なクズぶりを露呈していた。

これはクズだと多くの人から断罪され、本人も表舞台から逃げ出して、役職なども捨てたのだから、まだ良いだろう。責任はとっているといえるかもしれない。(内心はわからないが、すくなくとも外形的には責任はとっているだろう。)

しかし、類似ケースとしては、婚姻せずに曖昧な関係で複数の女性と交際しつつ子供まで作っていた、最近復帰した某グループのリーダーもある。

彼の場合、なにをどう反省したのか。

パートナーが不満を訴えるのを阻止するために生配信中に警察に「子供を虐待している」という虚偽通報の電話をかけて凸させるような姑息で非常識な虚偽告訴罪にもなりえる公務妨害な狼狽ぶりを露呈するような、卑怯で姑息なことをしてきた男性の、どこが好きになれるのか良くわからない。(警察からはお叱りを受けたという。)

彼の場合、2年前から、完全復帰を告示した現在まで、責任をなにもとっていない。2年間もだんまりのまま、社長のまま引責することもなく、単に表に出なくなったが、あいかわらず仕事はすると明言し、グループ運営に関わって仕事をしており、謹慎でさえないことははっきりと自分から示している。当然、社長業として仕事をしている以上、役員報酬も満額もらえてメンバーが代表取締役を切れるわけがなく地位も安泰で、「過去に、自分にどのような問題があって、今後、自分はどのように態度を改めるのかも言わない」ところをみても、これで反省したと思える人がいたら、よほどの贔屓目だろう。どこにも反省の色はない。

「まふまふxみけねこ騒動」とは比較にならないほどの醜悪さにかかわらず、復帰宣言でも、それを話題にされていない。

「また6人そろって嬉しい、とファン大歓喜」などとメディアもポジティブなニュースにしているのは、なにか異常ささえ感じてしまう。

なにか不思議な力学でも働いているのか?

完全復帰すると宣言しても、あのときの顛末がどうなったのか一切触れられていない。メンバーに許され受け入れてもらったお涙美談は書かれていても、あの醜聞を、どのように反省し、罰を受け、罪を償ったのか。

これは、うまく世論を誤魔化せたといえるだろうか?

私は、そうは思わない。なにも説明せずに放置できるような話ではない。必ず、その報いは受けるだろう。

ネットが生まれる前は、人の記憶から消えたものは図書館にいって新聞をめくらなければ思い出せなかったことも、いまはPC一つで過去のYouTubeアーカイブやネットニュースを検索すれば、いつでも、過去に、その人がなにをしたのか分かる。昔は2年間、表舞台から消えていれば、どのような罪でも人々の記憶から忘れられたかもしれないが、いまは、そのような時代ではない。

むしろ、いま、7年も8年も昔のテレビ放送の切り抜き、25年前の雑誌の切り抜きで、不適切発言が掘り起こされては足元をすくわれている。アナログメディアでもタトゥになる。デジタルタトゥが問題なのではない。ネットの「集合知」により、誰もが記憶を掘り起こせる時代になったことが問題なのだ。

だから、不適切な関係について清算せずに無視すれば、いずれ、それが問題にされる時がくる。25年間、説明から逃げ続けてきた小山田圭吾さんの、一世一代の晴れ舞台になるはずのオリンピックが、逆に屈辱的な断罪ショーにされてしまったように。

このような不誠実な告示だけで完全復帰を宣言できるメンタリティからすれば、もし、まだ籍もいれず内縁関係もつづけている女がいたら、そうとうな阿呆なのだろうし、中高生であれば大人の世界はよくわからないこともあるだろうが、そろそろ、さすがに大人を疑うことを覚えた方が良い。

当時、中高生であればともかく、あれから2年たち、大学生以上にもなって、まだ彼が好きなファンがいるのならば、物忘れのひどい痴呆か、現実が歪んで見える精神疾患にかかってしまっているのだろう。

あるいは、そこはVTuberと同じでアバターを愛しているから、中身なんてどうでもいい、中身がクズでもキラキラした夢をみせてくれるなら、それでいい、と割り切っているタイプのファンばかりということなのか。

しかし、演者の人格や素行と、外見的なキャラクターを混同しないで欲しい、という言い訳が、中身が不貞行為をしても良いという免罪符になるわけがない。

確実にキャラクターと声優が完全に分離しているアニメのような業態でも、人気声優「櫻井孝宏」さんのスキャンダルは看過できないものとして、演者交代がファンから反発されるようなアニメ作品でさえもキャスティングに影響していたのだから、同様に「すとぷり」が完全に創作されたキャラクターを演じているのだと主張したものだったとしても、中身の不貞行為が許されるわけでもないだろう。

特に、ななもりさんは、声優ではなく、キャラクターとCVという関係で切り離されているわけではないのだから、むしろ、声優さん以上に中身の評価はキャラクターと等しく直結されたものであろう。

にもかかわらず、アバターを盾に不貞行為を隠せるなどと考え、あるいは、ファンを煙に巻き無知蒙昧にさせる(もしくは、それを容認・黙認させる)関係が、まともであるとは考えられない。私は、そのような関係が許容されるべきものとは思わない。

顔出ししない歌い手グループとは、つまり、夢を見たい人に夢を見させる、実際はそうではないのに、そうであるかのように振る舞って、偽物の人間関係を客に売っている詐欺であり、人の気持ちを弄ぶ虚業のビジネスだというのだろうか。

だとすれば、まったく、いかがわしい。人生に関わるべき意味のある関係ではない、と断じて良い。

しかし、どう考えても異常なホストクラブに金も体も捧げて、金を工面するために、ふつうなら鳥肌がたつような年配男性たち相手に心を無にして、お涙ちょうだいの「いただき❤営業」して一生懸命にパパ活している女性たちにとっても、ホストは人生の喜びであり救いなのだろうが、この「ホスト」との関係も、「おぢ❤」との関係にも、まともでない虚像の関係であって、どこをとっても何一つ本当の人間関係がない。

しかし、これまでの情報だけで考えれば、男からみても、少なくとも、「まふまふ」さんは、すとぷりの「ななもり」さんのような欺瞞、ファンへの不誠実さは無いようには思える。

いろいろ問題があることも見せており、人格を偽った架空の男性ではない、きちんと人間性を評価して関係を結ぶことのできる、実在する男性だと信じて良い。

すくなくとも、今回の件については、アバターを盾に架空の人格で取り繕ったりはしてないし、汚い部分も含めた正直なありのままの気持ち、本当の生の自分を出すことのできる、きちんとした責任と自覚ある「実在する男性」としてファンの前にあるから、ファンも、そのように接して良いと思える。

その態度は、メディアで顔出ししたこともあるのだろう。

彼は、まやかしの人間ではなさそうである。

2年前の騒動の時には、まだ覚悟ができてなかったのかもしれない。だが、いまは自分のことをはっきりと説明でき、その責任をとれる人間であろう。

また、当時でも、自分の妻に甲斐甲斐しく、しごおわ通知を定期的に入れるようなマメさも見せていて、メンヘラぎみの妻を一生懸命愛していたことも、よりはっきりした。

これは二人の発言内容からも一致するし、当時の状況からしても、彼が努力していたことに疑いはない。むしろ、頑張っていたことがはっきりした。

天性の女たらしは、縄張り巡回するように女の子たちにまめに連絡をとって、ご機嫌伺いするようで、多忙な医師のような有能な人ほど、そのようなことができるらしいのだが、しかし、まふまふさんは普通の男性で、この、この定期連絡は負担だったようではある。

これが負担だったと明らかにされたことも、まふまふさんの評価を変えるところだろう。

「たらしではなく、普通の男性で、だとすれば、当時メンヘラぎみだった新妻を満足させることは大変だっただろうなぁ」という、少し同情に似たような苦労を理解できるような気持ちにもなれる。

断片的な事実でしかないが、まふまふさんという男性は、周囲の反対を押し切っても、「人生をかけて大切にしたいと思う女性だと本当に感じた」のであろうし、だから、みけねこさんという女性と「結婚という方法で誠意」を見せた。

しかし、周囲が「みけねこさんとの婚姻」に反対したのは、単に自分たちが女性を相手にする人気商売だからだけでなく、もともと見え隠れしている、「みけねこ」さんの精神的な不安定さから、精神的な苦労をさせられる、つまり、みけねこさんが抱えている精神的な不安定さを彼も引き受けなければならない苦労を、おそらく、まふまふさんが分かっていないことを懸念するものだったのだと思う。

みけねこさんが不安定であることは、この2年間のツイキャス配信などから、中高時代の過去話でもけっこうな激情的な思春期だったことは語られている。思春期は誰でも不安定になる時期ではあり、もっと激しい人もいるが、みけねこさんは平均的な中高生よりは、かなり不安定だったとは思われる。

これが、みけねこさんの生まれ持った躁鬱的な気質的なものか、感受性の高すぎるHSP(繊細さん)なのか、愛着障害的なものだったのか、その複合なのかなんともわからないが、誰から見ても分かりやすく気持ちが安定しないタイプではあろう。

だからこそ、まふまふさんも、みけねこさんに惹かれるところもあったのだろうし、だからこそ、周囲に反対されたところでもあるのだろう。

激情的なタイプは刺激的ではあり、インスピレーションは豊富である。人生そのものが作品のようになりえる才能の豊かな人でもあろう。アーティスト気質の人が、そのような人に惹かれるのは必然だったかもしれない。

一方で、同時にメンヘラ的な側面も強い人を(おそらく間違えて)選んだことは、まふまふさんが、本当に、自分の (本物のメンヘラ率がかなり高そうな) ファンの女の子たちと遊んでいなかったことを示しているのではないか。

メンヘラは依存性が強い人たちだから、相手にすがるように好意を示す、いわば「甘えてくる」人たちであり、しかし、「甘え上手」なわけではない。そうゆう人たちは簡単に遊ばせてくれるが、深入りすると依存されて厄介であるから、軽薄な男であれば、本気になられるまえに関係をきりかえてゆくような遊び方をするものだろう。(そして、メンヘラは傷ついて、どんどん壊れてゆく。愛されないことを何度も経験して愛に飢えた餓鬼になる。)

実際、みけねこさんは、まふまふさんの愛をずっと確かめなければ不安になっていることが、まふまふさんの今回の愚痴からも見えており、実際に、まふまふさんが不貞行為をしたかどうかに関わらず、みけねこさんは常に愛を信じられずに、コレコレさんに「まふまふさんの女の噂はないか?」などの情報を聞くなど、あちこちに聞いて回っていたのだろう。

だからディスコードも、もしかすれば、実在するかも分からない、見えない不倫相手に「まふまふは私のものだ」と公示するために、わざと漏らした、という可能性もなくはない。

そもそも結婚という男にとっても重大な決断をするほど好きな女性とは、結婚直後の数ヶ月はハネムーン期で浮かれているはずで、他の女性に浮気するとは、普通は考えにくい。

仮に、まふまふさんがどうしようもないプレイボーイだったとしても、一番楽しいはずの時期に、他のことをしようと思うとは、私には考えにくい。あるいは、結婚したことで、はりきって、使命を帯びたように仕事に没頭するという行動をとるほうが信じられる。

しかし、みけねこさんが浮気を疑っていたのは、自分が、まふまふさんに「愛される自信」、「愛される自覚」のようなものが無かったからではないかな、とは想像できる。(現在でも、企業などから評価されることで自尊心を支えてもらいたいという気持ちがある。)

何万人もの若い女性からの愛情が注がれている相手なら、よりどりみどりで、自分の知らないところで都合の良い女の子が何人もいてもおかしくはない。実際、バンドマンのような人たちは自分のファンと3股ぐらいはやっていることは多い。(もちろん、人による。)

愛とは確証のないものだから、不安になったとしても、無理からぬことではあるとは思う。

同じことは、何万人も熱心なファンデッドたちのいる、るしあ/みけねこさん側にもいえて、まふまふさんからすれば、みけねこさんも男は選び放題には見えたことだろう。

おそらく、みけねこさんも、まふまふさんも、互いの素性のことはネットで知っている以上のことはほとんど知らない、もとからリアルで交流があったわけではないのかもしれない。

だとすれば、互いによく知らないから燃え上がったが、互いに良く知らないから結婚後に疑心暗鬼になってしまったのではないか?

「まふまふ」さんが振り回されて、そうゆう女性の扱い方を知らないということは、そうゆう遊び方をしてなかった、そうゆう経験がなかったことが伺えるだろうから、本人が言うとおり、女性との接点が少ない男性であることは嘘ではなかったのではないかと思える。

一言でいえば、もし、遊び人であれば、このタイプの女性と結婚しようと思わないからだ。

また、「もう付き合えない、もう無理だ」と、まふまふさんが音を上げて、離婚を切り出したあと、そのような依存体質になっていた、みけねこさんが重度のウツ状態に陥ったとしても、逆に、そうなることが予想できていなかったこと。

フラれて傷ついた女性がそうなることがあり得ることを、2024年の現在でもわかっておらず、「借りていた部屋はゴミ屋敷のようになっていた」ということを、まるで他人事のように非難できてしまうことからも、やはり人生経験が少ないことも伺える。

ここは彼のファンにとっては「彼の良いところ」ではないだろう。

彼は、傷ついた女性が、どのようになるのかを知らなかった。たしかに、女性経験が少なく、人生でも、これまで見たことも、聞いたこともなかったのだろう。

「汚部屋」とは、だらし無い人がすることではなく、自暴自棄になっているセルフネグレクトであるということを分かっていないようだ。ゴミ屋敷は、単にルーズでだらし無い人がなるのではなく、生活の気力がなくなってしまった人が陥る、精神疾患の結果として現れる事象である。単にルーズな人は、いろいろ散らかっているだけでゴミではない。それは個性である。

彼女の部屋が、ゴミが散乱する汚部屋だったと非難するような発言をすることで、まふまふさんのファンの中にも、ネットの歌い手さんたちだけが救いの、引きこもり汚部屋の女子たちも少なくなかっただろうに、おそらく無神経な非難だっただろう。

彼女が、どのような状況だったのか、期せずとも、まふまふさんの見てきた状況と、みけねこさんが自分で語っていた当時の状況が、完全に合致してしまう。

このことから二人は嘘をついていないことが分かる。

ただ、互いに気持ちを理解できていない。

まふまふさんが、これを理解していないのは、たしかに30歳前後であれば、身近な人に同様な経験がなく、精神医学や宗教、ウツや孤独死といった社会問題などにも関心がない、ただの歌詞を考え、歌うだけの「汚れていないピュアな」芸能タレントさんだからであろう。これまで勉強する機会も、その必要に迫られることも、これまでなかったことをすれば、たしかに育ちの良い、苦労も知らない、良い家柄の素直で純粋な坊ちゃまでは無いのかとも想像する。

このイノセント(=無知)さは、たしかに女子たちが憧れるに必要な、ピュアな王子様にふさわしい素質であろう。

だが、もし、これに対抗できる豊富な知識や経験、あるいは心の技量が事前にあったのであれば、婚姻生活は破綻しなかったし、そもそも、ファンビジネスでありながら隠れて結婚するなどという爆弾を抱えるようなことはしなかっただろう。

結局、ここの1点につきる。

どうして二人とも、ガチ恋売りをしているファンビジネスをしていながら、祝福されないと分かっている結婚を、こっそりと二人だけでしてしまったのか。自分のファンを蚊帳の外にしたのか。ファンに祝ってもらえるものにできなかったのか。

当然、結婚は双方の合意によってのみ成立する。この件は、どちらが悪いのではなく、どちらも等しく悪いことは言うまでもない。

結婚したことそのものが問題なのではない。「人に祝福されない関係」は、見えるか/見せるかに関係なく、すべからくアウトだと考え方ほうが良い

【ホロライブ運営・友人Aちゃんさんの評価】

2年前の2月の騒動で、あの空白の3日間、騒動がひろがるばかりで、まともな対応がされていなかったホロライブ運営内部で、どのような混乱があったのか。

今回の報道によって、すこし認識を改めることがあった。

それは、「Aちゃん」さんが、かつて語ったという、「るしあさんは、関係各所に迷惑をかけたのだから、契約解除は仕方なかった」という旨の発言をした(らしいことを、ファンデッドの怒りのツイートから知った)ことであろう。

私は、まふまふさんと、みけねこさんが、交際関係であることは確実だとは思っていたが、さすがに「結婚している」というのは予想外だった。

それは、どちらも異性ファンが金づるである、ガチ恋売りをしている人たちだったわけで、ファンにこっそり結婚までする、というリスクが、あまりにも想定外だったからだ。

今回の「結婚して離婚していた」報道をうけて、まふまふさんのファンが「嘘はついてなかった。あのとき、同棲はしていないといったけど、結婚していないとは言わなかったから」などと納得しようとしていたが、同棲してないなら結婚していないと思うのが普通だろう。

それで嘘をつかれていないと納得できるのは、相当におめでたい思考とは思う。信じたいあまり現実の認知が歪んでしまっているとは言ってよいだろう。

ふたりとも、ファンに対して明確に隠し事をしており、不作為の嘘をついていた。

たしかに、二人の発言からすれば、当時、同棲はできていなかった。

二人が暮らすための部屋を借りたばかりで、まだ引っ越しできるまえに事件が起きてしまったのか、あるいは、お泊りするとバレたときに言い訳できなくなるというリスク管理のために同棲は避けていたのかは定かではないが、たしか、お泊りはしてなかったらしい。

そこは二人の発言から矛盾していないし、状況からみても矛盾していない。おそらく真実であろう。

しかし、ディスコードバレがあったとき、運営が、どのような関係であるのか発表するか確認するうちに、「交際どころか、すでに結婚している」という状況を、そのとき、はじめて認識したのだろう。

この「誰もが予想しないような関係」を、どのように発表するべきか決断できないうちに、まふまふさんが「交際関係を否定する」ような公表をし、るしあさん側も、どうすればダメージを抑えられるのか考えるうちに、運営からは「契約解除しかない」という方針が伝えられたのだろう。

グッズ「一生一緒エンゲージリング」のようなガチ恋売りをしていながら、実際には自分は結婚していたとすれば、結婚している事実を偽って、異性からの好意を買うような行為は、まさしく結婚詐欺というべきものであろう。あるいは、この事実をしって、そのような売り方をするのであれば、ホロライブも同様に、結婚している事実を知りながら、異性からの行為を引き付ける詐欺類似行為を働いていることになってしまう。

ガチ恋売りをするならば、自分はフリーでなければならない。だからアイドルの恋愛が禁止されており、アイドルが恋愛していることが裏切りだとされる。アイドル事務所でいわれる「重大な契約違反による契約解除」というのは、そもそも10代の少女に困難な契約が課せられているわけもないのだから、まあ、だいたいはガチ恋ウリしているのに恋愛したことで、アイドル活動させられなくなったことを言っているのだろう。タバコや酒といった法令違反ぐらいなら謹慎でよく、それ以外の暴力や詐欺など警察沙汰であれば、隠して良いような話でもない。専属違反/裏営業禁止の可能性もあるが、10代のアイドルが一人で別の営業活動をできるとも考えにくい。とすれば、残るは半分プライベートであり、半分業務でもあるような、ガチ恋営業の部分ぐらいであろう。

しかし、るしあさんは、明らかに2021年からの売り方が「ガチ恋売り」になっていた。

もともと前年の2020年グッズなどは、ガチ恋売りではなかったことを考えれば、ホロライブのアイドル売りを強化する路線も合致することもあって、「まふまふ」さんと付き合って、まふまふさんをリスペクトする、もしくは、真似するような気持ちで、エンゲージリングを企画したのだろう、と考えられる。

自分も真似て、リングが欲しくなった、その気持は理解できなくもない。

まふまふさんも2019年のソロイベントだったかで「契約リング」という、おそらく婚約リングをモチーフにしたアクセサリーを出しており、るしあさんが「一生一緒エンゲージリング」というアクセサリーを騒動発生直前の2022/1に出している。

まふまふさんの説明によれば、2021年夏前に交際をはじめて、2021/12に結婚した。

問題があるとすれば、「まふまふ」さんのグッズは、結婚前(あるいは交際前)で、しかし、「るしあ」さんのグッズは、結婚した12月の翌月の1月の発売である。当然、グッズ制作期間が半年あったとしても交際期間にかぶっている。

婚約指輪を模したものとしても、価格もチープな本物ではないオモチャ(イミテーション)であって、そもそも何千・何万というファンに向けてのグッズなのだから、いわば子供の「ごっこ遊び」の玩具でしかないことは言うまでもない。

実際、ファンの忠誠心を示す「争奪戦・お祭り」のように、このグッズを求めていたことは、当時の雰囲気がいまでも伝わってくるものがある。

純朴な少年の100%の恋心が多かったわけでもないだろう。

既婚者が未婚と偽り、男性の同情や歓心を惹いて婚約指輪を買わせたのであれば「いただき❤女子」のロマンス詐欺で普通に捕まる案件であるが、これが詐欺にならないのは、「おもちゃを不特定多数に販売している」ことから、「あきらかにごっこ遊び」であって、本気になるのが馬鹿だと誰でも分かるからだ。VTuberのロールプレイでしかない。

しかし、本気になってしてしまった人もいたことも確かではあろう。

子供の小遣いとしては安くない数千円で、自分の推しと幸せになれる、幸せにできる、という夢を見たい人たちからすれば、たしかに深く傷ついた人たちがいて、少数だとしても、強い怒りとして拡散されたなら、それは当然であろう。純粋な夢を踏みにじった恨みは深い。

(だから、ガチ恋売りはやめておけ、と2020年ぐらいからずっと危ないと思っていたのに案の定というべきか。)

しかし、このようなホロライブのいう(谷郷元昭さんがメディアに語っていた)「生きたキャラクターIP戦略」とは、「まるで生きた人間のように、ファンと擬似的に婚約するような人生を演ずる、架空のキャラ」を言うのであろうか?

事実ではないことを事実であるかのように騙って人を騙して商売することを詐欺という。これを、もし、詐欺だといわれたくないのであれば、それが演技であることを「これはフィクションです」と説明している必要がある。

グッズはおもちゃではある。だから、詐欺ではない。

しかし、るしあさん/まふまふさんを未婚だと信じて応援していた人たちへの純粋な気持ち、恋心から投げていたスパチャなどがあれば、それは「客が勝手に勘違いした」などという言い訳は通用しない。

仮に信じている人が少数だったとしても、たしかに嘘をついていた罪がある。

あるいは「潤羽るしあは、みけねこというキャストではありません。るしあは独身のネクロマンサーであり、一人ひとりの皆様の、みなさまと婚約している、それぞれの大切な彼女のままです。」とアナウンスしたかったのだろうか?

おそらく、そんな2019年代のV企業が過ちを犯したような「分人的説明」をしたら、納得できないファンたちから、他のタレントはどうなのか?彼女らも全員嘘をついているに違いない、見た目とは関係ない実態が隠されている、というような騒動に発展していったことは、おそらく確実だろう。

VTuberのキャストは成り立ちからして、すでに一般タレントよりも更に公表していないことが沢山あるのだから、あらぬことまで詮索され、あらゆることが隠し事のように思われはじめたら、余計に不信感を抱かれ憶測が膨らむだけの不味いことになるのは明白だっただろう。

この期に及んでは、もはや「るしあ=みけねこ」を否定することが不味いことになる。

しかし、「るしあ=みけねこ」だと認めれば、やはり困難な問題が持ち上がる。

運営は、「結婚していることを知りながらもガチ恋グッズを企業として販売すること」が不味いことぐらいは、はじめから分かっていただろう。

Aちゃんさんが言う、「関係各所に迷惑をかけたのだから仕方ない」とか、契約違反とされる「虚偽の説明」などは、「結婚しているのに報告せず、言い訳しようのない危険なガチ恋売りを、運営や関係するデザイナーやグッズ制作会社にさせた」ことを指すのではないか?

憲法上、婚姻の自由は結婚の意志のある二人による自由な行為であり、だれも、それを制限することはできない。それを否定するのは人権侵害である。それを否定するような昭和にはまかり通っていた古い契約があれば、現代であれば、そのような企業こそが、人権侵害、コンプライアンス違反として訴えられるべきだろう。

だが、結婚を事務所に報告しないかどうかは別問題である。

一時的な交際なら言い訳しようもあろうが、「結婚」という行為は、明確に法律行為であって、プライベートなことではあるが、法的な事実と異なる発表をして良いものではない。

だから、今回の週刊誌でプライベートである婚姻関係について暴露されたとしても、プライバシーの侵害にはできないだろう。

そのように考えると、Aちゃんさんの発言や、当時のホロライブ運営の動きが、より鮮明に見えてくる感じがある。

そのように理解できれば、Aちゃんさんは、核心的事実は避けつつも、かなり実情を正しく述べていたと言える。また、運営やAちゃんさん自身が、具体的に、どこに、どんな迷惑が発生したのか、はっきり言えなかった理由も、そこにあったことも理解できる。

  • 「るしあ」は未婚だが、その中の人は結婚しています、とは言えない。(分人騒動が起きたら、他のタレントにも詮索が入る。るしあだけの問題ではなくなる。)
  • しかし、「るしあ」は結婚していました、とも言えない。(運営がガチ恋営業させていたのだから。)
  • つまり、秘密のまま辞めてもらうしかない。

ということになったのであろう。

また、るしあさん/みけねこさんが、当初「いろいろ暴露してやる」と喉元まで出かかっていたことの1つには「ホロライブには私以外にも結婚している人がいるのに、どうして私だけ辞めさせられるの?」という理不尽さ、不平等さに対する怒りだったのではないかと思う。

もともとホロライブでは、妙齢の女性たちが集まっているグループであり、2020年の、まだホロライブがブレイクする以前に集められたタレント、3~4期生までの人たちは、自分たちが業界のトップをはれるような一大グループになるという予想も覚悟もなかった。

当時、ホロライブは2~3年くらいで潰れるんじゃないか、と思っていたと語る1~2期の人たちも少なくなく、だいたい、みんな、そんな風に思っていただろう。それほど人気があるグループではなく、自分の人生をかけるに値するような企業ではなかった。アルバイト感覚のような人たちが多かったであろう。

当然、わざわざ企業に気兼ねしてアイドル売りを律儀にまもって、恋人も作らずフリーであることを守るような価値は、当時のホロライブにはなかった。それを守っても何の意味もなかっただろうし、恋愛を諦めるぐらいならホロライブを辞めるほうがマシだっただろう。だから、2020年くらいまでには運営自身も明確な売り方の方針もなく、各タレントの自由に放置していた感じだろう。(それが期せずして自由闊達さとして奏功したわけではあるが。)

そもそも、3期生のメンバー自身がホロライブ1stフェスで「はじめて、自分たちがアイドルグループだと認識した」というような発言もしているとおり、そもそも、2020年ファーストライブまでは、アイドル売りらしいことはなにもしてこなかったグループである。むしろ、過激なエロ路線をとる人も少なくなく、エロライブと呼ばれるようなキワモノのように思われていたことは有名だろう。(「ときのそら」さんは、はじめからアイドルかもしれないが、彼女は0期でありホロライブとしてデビューしたわけではない。)

もともと、アイドルのように恋愛禁止などされていなかったであろうし、すでに前々からいわれているように、何人かは所属した時点から、すでに既婚/事実婚でさえあっただろう。

「るしあ/みけにゃん」さんが初めてのホロライブの既婚者事例というわけではないはずだ。

それ以前から、すでに既婚者といわれている人たちがいる。既婚でなくとも、60名近い女性全員がフリーであることなど、あり得ないし、それを強制することなど端から不可能だろう。

これからも、女性としての人生を考えれば、恋人をつくり結婚し、子供もできることだろう。そうなる道筋がなければ、ホロライブというものは成り立たなくなる。

だとすれば、短期的な利益ほしさに、わずか2~3年ではあったが2020年から2022年までホロライブがアイドル売りを強めてしまったことは、収益性の高い盲目ファンを増やすためだったとはいえ、今となっては長期的な戦略を立てにくくなるような、見えない地雷をあちこちにばら撒いたような愚策だったとは言えると思う。

現時点に至るまで、ホロライブは、リアルのアイドルのように、結婚適齢期の25歳ぐらいになったら卒業するような業態ではないのだから、はじめから、この売り方に無理があった。

では、そうゆう既婚者・彼氏持ちの人たちは、今後、どうするつもりなのか?という疑問があろう。

2022年までは、このあたりが曖昧だったのだろう。

当時、芸能分野に詳しいわけではなかった、ただのVR企業だから犯した戦略ミスだろう。

おそらく、現在は、「星街すいせい」さんのように、ガチ恋禁止での売り方で、自分が誰と恋愛しても文句は言わせないという姿勢を全面に出してのアイドル活動をしている人たちのように、個々の事情に応じて柔軟な売り方にしているのだろう。

現在交際相手のないフリーなタレントで、ファンの強い忠誠心が欲しくてガチ恋売りしたい人は、そのようにすれば良いし、ガチ恋売りが将来の自分の枷になりそうだと思う人は、バラドル路線、アーティスト路線のように恋愛売りしなくても良いように、徐々に軌道修正している感はある。

そこは本人たちの選択に任されているような話は、ホロメンたちの会話から漏れ聞こえる感じはある。軌道修正中という感じであろう。(最近のグループであるDevISも、アイドル売りではない。)

2020年に「るしあ」さんが契約解除されたのは、まだホロライブ全体が日本的ガチ恋売りアイドル路線の中で、結婚しているという事実を隠してガチ恋売りをさせてしまっていたから、それをどうやっても、うまく収める公式の説明ができなくなってしまったからだろう。

だから、アクションするまで3日間も炎上を放置する事態になったのは、ただの放置していたのではなく、どうしようかと無策のまま混乱しているうちに火がどんどん大きくなってしまって、コントロールできない状態の中で、るしあさんが納得できていない状況での公式の押し切り発表になってしまったのだろう。

どうして時間がかかっていたのか、その理由が、今回、わりと納得できた。

だから、「他にも結婚している子がいるのに、自分だけどうして?」という不満があったとすれば、それは「嘘をついていたから」「手の打ちようがない無い状況にしたから」ということになるだろう。

契約解除は結婚していたことが理由ではない。マリン船長の「自分たちでは、もうどうにもならないところまできていた」という言葉も、運営との決裂が避けがたいものに至っていたからという意味かと思っていたが、そうではなく、問題自身が「どうにもならない」ものだったからなのだろう。

もし、「どうして自分だけが?」という逆恨みをしているのならば、逆に「なぜ結婚しているのにガチ恋売りをして良いと思ったのか?」という、その行為こそ問われる。

今後、カバー(ホロライブ)がまともな運営をつづけてゆけば、いずれリアル女優・声優さんたちと同じように結婚・交際を公表するようなものになる。そうならなければ、ホロライブは成り立たなくなる。

そのとき「自分は辞めさせられたのに、どうして許されているの?」という不条理感に苛まれることもあるだろう。たしかに当時2020年のカバーは企業体質としておかしかっただろうが、問題は、そこではない。

当時のホロライブが2020年から急にアイドル売りさせたがっていたとしても、実際に「本人がその気になって運営に言われるがままにファンを騙すようなことをした」のはタレント本人「るしあ」その人である。

みけねこさん自身がいうように、誰かに褒めてもらいたくて、やる気が出るタイプだから、運営から褒められて夢中になっていた部分もあるのだろう。成績が伸びて自尊心が高まるからスパチャランキングでトップになることを頑張るように、ガチ恋営業にも精が出たのだろう。

だが、自分の良心・自尊心を強く持てていれば、他のメンバーのように自分とファンを守り、少なくとも積極的にガチ恋ウリしない選択肢もあり得た。

この問題を一言でいえば、「人に祝福されない関係が許されると思っていたことが間違い」ということだ。

すべては、結局のところ、みけねこさんの自尊心の低さ、だれかに認めてもらうことで自分の価値を確かめるような「弱さ」だったのだろう。

いまでも、組織に所属することで、そのような自尊心を支えてもらったり、存在を認めてもらいたいという気持ちが捨てきれていないことは話されており、本質的には、当時から今も変わってはいない。そうゆう気質なのだとは思う。

もちろん、もっと重要なことがある。

今回、このような婚姻関係の隠匿があったことが明らかになったのであれば、当時のホロライブ運営に全く責任がなかったとは思わない。当時、るしあさんだけに責を負わせ、今年に入っての「まふまふxみけねこ」報道後も、当時の自社のタレントの売り出し方と、その監督責任に言及されていなかったことは残念ではある。

【報道により再炎上したのか?】

本人たちにとっては、これまで隠してきたのだから、触れたくない出来事ではあっただろう。

しかし、外から見た場合には、今回の報道で、再炎上したのか?というと、ニュース性としては、それほどでもなかったとおもう。

結局、2年前の事件についての話であって、基本的には終わった話である。何か新しく事件が起きたわけではない。強いて言えば、答え合わせでしかない。

だからだろう、ツイッターのトレンド入りも1日ぐらいだったような記憶である。

話題性としては「やっぱ、そうだったんだ。」「まあ、そうだろうな。」くらいのニュース性であるから、まふまふさん側がどうなのかはわからないが、私が見ている限りでは、るしあ/みけにゃんさん側は、2年前のような大混乱ではない。

まふまふさんにとっても、みけにゃんさんにとっても、ずっと言えなかった、しかし、本当は言わなければならなかったことを、伝える機会ができたことは、絶対に良かったこと、つまり、痛みがあったとしても正しい事だったのだと思われる。

るしあさんも、まふまふさんも、結婚したことを隠したままガチ恋営業をしていたのなら、人として悪業を積み上げてゆく、人を欺く罪を犯し続けていただろう。

どのみち、あの時点で二人の前に、まともな正道がなかったのだ。

普通の人間であれば、それは苦しいものだろう。だから人は嘘を自分から隠せない。楽になりたくてバラしてしまう。人を悲しませる嘘を墓場までもってゆく覚悟というものは、並大抵ではない。罪を感ずるなら、死ぬ前には告白してしまいたくなるものであろう。

だから、外部からの後押しがあったとしても、このように過去を清算できたことからすれば、今回の出来事は、必ずしもネガティブでもない。

むしろ、正しいことであり、二人にとって良いことだったはずである。

また、今回は、みけにゃんさんは、かなり冷静に対応され、関係者たちと弁護士ともまじえて、自分の立場を示す声明文を発表した。文面も、主張と反論が、正確かつ丁寧に、慎重にかかれていることが感じられるものであり、必要十分なものだったと思える。

その後、ツイキャスなどを毎日のように開きファンとの気持ちを確認しながら、機を見計らってのYouTube配信をされていた。

みけにゃんさん自身が「2年前から何も成長していないと思われたくない」と言われていたように、たしかに2年分の経験値、成長の感じられる対応だった。

今回の件では、以前と異なり、自分を自制しながら最善を選ぶことができたように見える。

とはいえ、1月ぐらいから、みけねこさんが大腸の病気の「憩室炎」で入院しており、退院した日に、週刊誌の発売があったようだが、週刊誌が、そういった暴露的な発表をする場合、発売よりも少し前には連絡が入るという。いろんなタレントの人たちが週刊誌に出る場合には事前に通告されると話されているから、おそらく、まふまふさんのところには、すくなくとも発売日よりも少し前に連絡はいっていたと思われる。みけねこさんのところ来ていたかどうかは定かではないが、なんとなく、発売日から考えると年末か年初あたりの段階で連絡が来ていたのかもしれない。

今回の入院は、もしかすれば、ショックや不安からの急性ストレス性腸炎的な体調不良になったのか、それとも、たまたま不運が重なったのかどうか。

来ていた案件が6件ほど消えて全滅したと、というのは、騒動を避けたい案件元からすれば、渦中にあるといえるならば延期ないし中止したいと思うのは当たり前であろう。

「2年前、結婚していたのに、ガチ恋売りしていたの?マジ、やばー」みたいな感じの理由で企業が案件を引き上げたわけではあるまい。そんなことは関心なく、関心があるのは「今、その案件によってトータルで自分たちの顧客が喜ぶものになるかどうか」であろう。

騒動で荒れそうであれば、見送るという判断をされるのも、内容に関わらずありえるだろう。

しかし、チャンネル登録者数は7000ほど、段階的に減っていったようではある。

この減った人たち(2k?)は、何であろうか?

みけにゃん本人にとっては半ば不本意なところもあろうが、2年前の炎上以降、本人が前面に出てファンやアンチと正面から向き合わなければならかった結果、明らかに2年前よりも今のほうが、より深く、みけにゃんさんの内面や人柄というものを、(私に限らず、ファン、アンチともに)より多くの人が理解できているだろう。

彼女はオープンになった。

だから、すでに、人柄をある程度を理解している人であれば、今回の発表では、みけにゃんさんに対する印象や考えが大きくかわることはないのではないか?

そこは、みけにゃんさんも手応えのようなものがあるのではないかと思う。

しかし、たしかに7000人が減ったとすれば、それは、どのような人たちであるのか?

3つほど考えられるだろうか?

  • 婚姻は神に誓うもので、家庭を破壊することを禁忌とする文化の人たち
  • 婚姻を重いものと受け止める人たち
  • 婚姻を隠していたことに不信を抱いた人たち

まず、「海外勢である可能性」はあるだろう。

アメリカはプロテスタントが多く、離婚は可能ではあるが、ヨーロッパに多いカトリックでは離婚は絶対に許されないと考えている人たちも少なくない。カトリック信者でも、他の宗教・文化に寛容な人であれば、カトリック信者以外が離婚するのは、そうゆうものだと理解している人も多いだろうが、やはり、あまり良い印象はないだろう。

日本でも、地域密着型の小売店の店主が、その地域で離婚(もしくは不倫)したと知られたとき、信仰に厚い敬虔なカトリック信者であれば、その店は、金輪際、一切使わなくなるだろう。そのような人道に外れたものに関わると自分の魂が穢れるからだ。

そうゆう人たちは、一定数あったとおもう。この人たちは、おそらく、二度と戻ってこない。

海外勢ファンを望むのであれば、相手の文化的・宗教的な背景は知っておくべきとは思う。

しかし、7000人全員が、敬虔なカトリック信者なわけではないだろう。

1つは、やはり結婚という事実が重い人たちだろう。

はたして、あのような2年前の騒動を見ていたのなら、「まふまふとの間に何もない」と思える人はいないとは思うが、それでも「結婚という一線は絶対に超えてないはず」と信じていた人もいたのかもしれない。

離婚しているのであれば良いのかといえば、そうともいえず、もしかすれば女性ファンのほうがショックかもしれない。

みけねこさんを、同志や身近な人のように感じていたのであれば、「あの人と結婚していたんだ/結婚できたんだ」というショックは女性のほうが大きいかもしれない。

未婚の適齢期の女性は、知り合いや知っている人が結婚すると、だいたい少なくないショックを受けると聞く。そうならないように、互いに監視し合っている。彼氏に裏切られて不憫だな、と思っていたら、結婚もして離婚もしていたとなれば、「はあ…?」となる人もいるだろう。

離婚したからといって、結婚していたことの事実は消えない。

重大な関係を秘密にしていたのだから、これは重大な裏切りだろう。

今月、たまたまネットで検索していると「るしあ」さんが契約解除なった直後あたりの2年前のYahooコメントをみつけたりしたが、「最近、V豚が目を覚ましてファンを止めている人が多くなっているようですが云々」という質問に対して、「Vファンには、もともとキャラクターとして愛している人たちがいて、そういった人たちは、あまり影響を受けていません」みたいな書き込みがあった。

Vファンでも、「中の人とキャラクターは不可分だと考えている人」と、「中の人とキャラクターは分離可能だと考えている人」がいるのだろうが、ライバー人気のVの場合、実際にライブ配信で体験できることは演者のパーソナリティの色濃いものであるから、後者は少数派なのではないかとは思う。(何かを演じている動画勢Vであれば、後者だとしても、そのような受け取り方は、むしろ運営・演者が望むところであろう。)

人は人を理解するために、相手の状況(想像)を自分に当てはめて想像することで、相手の人格を推測するしかない。

その場合、中の人の情報の比率が多ければ、本人性とキャラクターは不可分になってしまうし、逆に、中の人の属性が一切興味なく、そういった情報でキャラクターを見ていないのであれば、中の人の醜聞など何も気にならないのだと考えられる。

しかし、立ち絵と設定だけで恋をしている人ならともかく、ライブ配信ファンが、そのように思う人が多いとは思えない。

おそらく、その人が知らなかった事実は「自分の知っている◯◯ではない。そんな話は聞きたくなかったな。だから、私の知っている◯◯は、◯◯のままにしたい。」という、情報のアップデートを遮断して、「思い出として切り離した」感じなのではないか。

これは実在する人間、芸能アイドルだけでなく、身近な信頼していた元友人や元知人、先生のような関係でも、そのようにすることがあるだろう。

つまり、「裏切られていた」と思ったことで、過去の思い出にして去っていった人たちも多いのではないか。

「るしあさん」の中の人が好きでガチ恋していた人だけでなく、仮に自分以外との恋愛があっても構わないと思っていた非ガチ恋勢の人であっても、もし、重大な事実を隠されていた、裏切られたという事実を重く受け止めるのなら、もう信用はできないし、思い出として留めるだけで、「嘘をつく人とは、これ以上は関わることはやめよう」という判断ができたとしても、なんらおかしくはない。

むしろ、自分に隠し事をして、それがもとでトラブルを起こしたような人を、信じ続け応援しつづけることには、むしろ、成熟した大人であるほどに、割り切ってさよならするものだと思う。応援する前提を守らない人だからだ。

ファンの応援する心というものは、なにかのビジネスでないのだから、利用し利用されあうような関係でもあるまい。相手を信用できないと思いながらも、あえて心を無にして、ドライに無感情で付き合う、という必要のある関係ではない。

そうゆう人たちに、呆れて切られたのだとしても、それは仕方のないことではあろう。

応援する意味がなくなったのならば、応援できなくなるのは当たり前のことだろう。

みけねこさんが、信用を失ったことは、間違いないだろう。

しかし、この場合は、まだチャンスはある。

誠実に活動をつづけている姿を見せることができれば、また戻って来ることもあると思われるが、信用を取り戻すということは言葉では足りず、実際に誠実に活動をつづけていたという実績だけである。

『口ではなく足を見ろ』『言葉より行動を見ろ』

このようにして結果として信用が積み上がってゆくのならば、また戻って来る、新しく信用されてゆくことになる。

みけねこさんの場合はすべてが虚偽というわけでもないが、東名煽り事故で親族の関係会社だと名指しされた会社がバッシングされた事例が参考になるだろうか。当初、自分たちは石橋被告とは何の関係もないことを証明するために、家族構成や年齢などをすべて公表しても、ネットでは「嘘をついている」「事実を隠している」とバッシングが収まらず、一度信用が失われてしまったら本人が事実を開示しようが疑いの目は止まらなかった。人間とは、そのようなものであろう。

だから、彼らができたことは取引先などに丁寧に自分たちは無関係であることを説明してまわり、周囲の人間が信じてくれたことで、「あの会社が信じているならばそうなのだろう」、という第三者の評価をみて、ほかの人たちの評価を改めて言ったような「草の根的信用回復」が必要になっていた。現実社会でも、信用とは第三者からの格付けで決まる。(逆も言える。あの会社が信用を格下げしたから危ないかもしれない、という見方もされるだろう。)

身近な人に信じてくれる人が増えることで、人づてに伝搬するような信用が回復してゆく。

その信用を積み上げてゆく過程は、強固なファンを獲得する過程と似ているのではないか。

むしろ、他人が作った信用にあぐらをかいて楽々とファンビジネスをしているような企業勢よりも、はるかに地道ではあるが、揺るぎないものが作れるだろう。

これは恋愛していたかどうかが問題ではないのだ。

重大な事実を隠されて信用できなくなったことが問題である。

しかし、また、逆にもいえる。むしろ、これが問題かもしれない。

裏切られてもしがみついていたり、裏切られたことを延々とネチネチ言い続けたりする人がいるならば、それは自分が、その人との関係しかない、例えて言えば、「その人しか頼るものがない」という意味での「大切な関係」だったということだろう。それは、本当に良い関係といえるのかどうか?むしろ、依存症のようなものであろう。

だから、みけにゃん/まふまふさんのファンが残るのも、逆に反転アンチになるのも、相手方に攻撃するのも、対象ファンが、もし自分の心の寂しさを埋める相手として見ていたのであれば、当然に向けられる感情だと理解できるし、みけにゃんさんが感じているように、アンチ(ファンも含めて)は、病んでいる人たちが少なくないことは確かだろうとは思う。

みけにゃんさんは自分を誹謗中傷する人を、成功するかどうかにかかわらず片っ端から開示請求していることは弁護士ニュースでもとりあげられたぐらいに広く知られたことで、ただの脅しではなく、本気であることは確実に伝わったであろう。

一方で、みけにゃんさんが開示請求してみたら、女ばかりの世帯で女の子が何人かいる家庭だと開示され、おそらく、そのなかの子供の誰かであろうし、未成年者のほうが親が金払ってくれるから、「お金ないから許してくださいとか言ってくる成人」よりも良い、と話されていたが、一方で、まふまふさんのファンで、みけねこさんに恨みを抱くような、某Xスペースで「みけねこ殺してぇ」と怨嗟を吐き出したり「もう限界なんだよォ」など本音を書き込んでいる女子の実態というものは、本当に「まふまふさんが心の支え」「唯一の救い」のように思える「弱者女性」といえるような人たちも、存外に多かった、ということも推測できるのではないか?

これは面白がっている愉快犯や野次馬のような人たちとは違う。

(もしパートナーと良好な関係を築いている孤独でない女性なら、まふまふさんを心配することはあっても、その相手を殺したいと思ったり、破滅させてやりたいとまでは思わないだろう。孤独だからこそ、唯一の支えである推しが汚された、その恨みが向けられてしまっているのではないか。)

そうゆう人たちにとっては、すでに離婚していようが「まふまふさんと結婚した」「そして、まふまふさんをいじめた人」「いまは、まふまふさんの敵」という認識となれば、まだ10代の女の子には荷の重すぎる、嫉妬と怒りの入り混じった、ぐちゃぐちゃの感情で心が黒く塗りつぶされ苦しいことは想像に固くない。

その憎しみ自身が、もはや地獄のような苦しみだろう。みけにゃんさんが「まふまふなんて名前も聞きたくない。私はいらないから、あんたらがもらえばいいじゃない。」と思ったとしても、99%の女子は、自分がみけねこさんのように選ばれないことが分かっているから、二倍にハラワタが煮えくり返る気持ちだろう。活動者であるだけで、まふまふさんと結婚できたことを納得できず理不尽に思っているはずだ。どうにかして引きずり下ろしたいだろう。

「欲しくても与えられなかった者の気持ち」「それを簡単に捨てられる人のいる理不尽さ、不公平さ」なら私は共感できてしまう。

コレコレさんが配信者カードを企画して、みけねこさんにも出てもらいたいという話をされていたとき、「まふまふに対抗できるのは、みけねこぐらいですからね」というような言葉も出ていたように、まふまふとの関係が公になったことで、関係がすでに破綻しているとしても、アンチからでさえ名実ともに「まふまふと釣り合う」という認識になっただろう。

そのことそのものは、今後のみけにゃんさんにとって必ずしも不都合ではない。二人が敵対しつつも、それぞれ勝手に大きくなるのであれば、互いに相手のステータスが自分のステータスにもなりえる。

(また、これに関連すれば、コレコレさんの配信者カード企画は、にじさんじやホロライブがグループ売りすることと同じような効果を、おそらく配信者界隈にも多少なりとももたらすだろう良い企画だと思う。配信者が「雑魚の群れではなく魚群として認知」され、各々の存在感を高めるためには良い企画だと私は思う。コレコレさんもミケネコさんの過去を少し笑えるネタにするかもしれないが、誹謗中傷の道具としてカードが使われても自分の企画が台無しになるだけで何の意味もないから、そんなひどいことはしないだろう。だとすれば、この企画に私は賛成である。)

したがって、当時、ガチ恋売りをしていた、まふまふさんと結婚するということは、はじめから円満な結婚生活は望みようがなかった可能性は高い。どのみち誹謗中傷がされたであろう。ガチ恋売りをしている人と結婚するには、そう簡単ではないハードルがある。

ネットタレント/ストリーマーは、どのように恋愛できるのか

【なぜ、二人は、こっそり結婚しようと思うのか?】

まふまふさんも、るしあ/みけにゃんさんも、当時、ガチ恋営業していたはずである。

ふたりとも「異性ファンの疑似恋愛感情で、コミュニティの気持ちを高めて結束させていた」という共通点があるのではないかと思う。

当時、どちらも観測していなかったが、二人とも指輪をグッズにしていたり、当時の騒動の反応をみれば、そんな感じだったことは確実だろう。

だとすると結局、一番の謎は、「ガチ恋営業によるコミュニティ」という、自分の基盤となる部分が崩れるかもしれない、ファンを裏切るような形での結婚を選択という、そのハイリスクな選択を、なぜ取れたのか?

祝福されない関係のまま、どうして結婚をしてしまったのか?

  • 単純な若気の至りで気持ちが先行してしまった
  • 自分たちをホスト/キャバクラ業態と考えていた
  • あるいは、その両方

ふたりとも若気の至りというほど若い10代の恋でもないだろうが、恋愛してしまうと現実が歪んでしまうことは、だれにでも起きる。

おそらく、認知の歪みのようなもの、現実が見えていなかったところはあったかもしれない。

それを一般用語でいえば、「恋の病」とか「若気の至り」だろうか。

冷静に考えれば、どう考えても異常ではあろう。

本当に恋愛した人が盲目になる様子は、自分も含めて何度も見てきてしまうから、人間とは、けっこう馬鹿な生き物だとは常々思う。それが良いわけではないが、人間とは、そうゆうバカな生き物であることを前提に社会制度はつくられるべきであろう。

人は誘惑に弱すぎるから厳しいペナルティのある婚姻制度があり、婚姻制度がなければ安定した家庭が作れない。安定して子供を育て一族を繁栄させてゆくためには婚姻制度が不可欠だった。それほどまでに人間の自制心とは弱いものなのだろう。

恋愛すべきではない二人が恋愛したり、あるいは既婚であるにもかかわらず恋をしてしまうような理性的に考えれば不味いことも、燃え上がってしまった感情を消すことはできない。(だから、手っ取り早い商売に使われてしまうのだろうが。)

互いに一目惚れするような容姿の適齢期の男女が出会ったのなら、恋に落ちたとしても(落ちなかったとしても)不思議ではなく、盲目的に燃え上がったとしても(燃え上がらなかったとしても)不思議ではない。男女の間で何が起きるか、理性で語れるものではない。

そうゆうものであろう。コントロールできるものではない。

まふまふさんは、文面からすると、当時のみけねこさんに惚れ込んだようだから、みけねこさんが本気なら結婚してくれ、と望んだから、それを叶えた感じではないかな、とは思う。

それほどまでに、惚れ込んでいたと言えるのではないか?

だから、遊びではなく本気だったのだろうし、舞い上がってしまった男性なら、後先考えずに、そうするのではないか?という行動原理のようなものは、なんとなく分からなくもない。

そのような部分は二人ともあったのではないか、とは思う。

まふまふさんは順調にライブを成功させ、2021年春ごろには自尊心は最高潮に達していたことだろう。人生を振り返ったときにも最良の時なのではないか。女性からの愛情を浴びるように身に受けて、「女性を愛せることはいいものだな」と思えたのなら、そのとき、自分が、もう一手、現実に手にできる女性という欲に手を伸ばしたくなったとしても自然な感情ではないかと思う。そう思わないはずがない。

どちらが先にアプローチしたのか、みけねこさんがソロライブ成功おめでとう、という挨拶を入れたときから始まったのか、それとも、まふまふさんから人づてに連絡をとってもらったのか。

もともと知り合いでなければ、いきなり会うことはないだろうが、まず「ゲームを一緒に遊びませんか?」から始まって、何度か目で「今度、ご一緒しましょう」と順当に進んだとする。8月ごろには交際が始まったとして、配信で見ていた印象とは異なって、シャイで控えめな「可愛らしい」みけねこさんと出会った時、即座に、恋に落ちたとしても不思議ではない。あふれる愛を注げる、生身の女性が見つかった喜びは人生最上の興奮だっただろう。

また、みけねこさんにとっても、ステータスもある憧れの人と並び立てて、天にも舞うような自尊心の高まりと、幸せが舞い降りた幸福を同時に感じたのではないだろうか?

その信じられないような幸せを、確かな本物にするために、結婚して欲しいと頼んだのではないか?

このとき、るしあ/みけねこさんが、ガチ恋営業を強めたのは、むしろ必然だったのかもしれない。

愛情の高まりと、まふまふとの一体化と、自分の気持ちがいろいろ混同していたのだろう。

これは同接1万人のファンがいる人も、同接続20人の個人Vでも大差ないだろう。女性個人Vさんが、数日間配信できなくなったとき、自分のファンたちと会いたくてベッドで自慰していたことを赤裸々に語る人もいる。顔も名前も見せないから赤裸々に語れるのだろうが、実際、女性というものは愛されていることを感じながらであれば電話越しでも自慰でセックスと同等の幸福感を得られるという。(愛していると感じなければ、挿入されても異物感でしかないとも言う。理想は、心と体が一体化した状態ではあるだろう。)

自慰とは直接言わなくても、「自分のファンのことを考えると精神安定剤になる」という言い方をしている人もいるが、たぶん、だいたい似ているもの/愛欲的感情を指しているのだと思われる。ただ、「精神安定剤に頼りすぎるのは良くない」という自覚もある人もいるようで、個人女性Vも、我々リスナー側が、どのように女性Vを愛するべきか距離感に悩んでいるようなことを、同じように悩んだり自制したりしているのだと思う。

しばしば、女性Vが、自分の男性ファンが他の女性Vのファンになることを「浮気」のように感ずるのも、そのような気持ちであるとすれば理解できよう。

だから、自分のファンのことを思えば「自分は愛されている」という精神安定剤にもなるし、だから、「自分だけが愛されているのではない」という嫉妬に苦しむものでもあるし、だから、「ファンの愛情に頼りすぎるのは良くない」という気持ちにまとめる人もわかる。

しかし、だとすれば女性Vがたくさんの男性ファンを想いながら自慰をすることは、だれか特定の一人を愛しているわけではなく、たくさんのファンからの愛を感じているわけで、これは沢山の人と同時に浮気しているようなものと違わないのではないか?

愛というものは実体がないので、そのあたりの区別というものが無いのだろう。

アイドルがガチ恋営業しているのも同様であり、肉体関係を求めているのではなく、浴びるような愛情と称賛、もしくは安心できる安定した関係性が欲しいからであり、自尊心が満たされたときに、リアルの本物の恋愛に手を伸ばしたくなり、アイドルを卒業するのだろう。

だから、逆説的にいえば、地下アイドルのような「ガチ恋営業しているアイドルは満足したときが卒業」であろうし、だから、企業勢VTuberでガチ恋営業している人たちも、現在は、未婚で彼氏がいないとしても、愛情が満たされ安心し自尊心が高まったとき、彼氏がいてもいなくても、ガチ恋営業は言わなくなるだろう。

また、これは愛欲のようなものに限定されるのではなく、もっと広い範囲の愛情だろう。

同様なことはリスナー側にも起きるだろう。私自身も女性Vの、女性特有の気持ちの明るさのようなもので、恋愛感情とかではない、もっと根源的なベースの部分での、愛情のようなものが満たされた。

マリン船長のところの赤スパでも、「もしかすればVTuberさんと付き合えることもあるかもしれないとジムに通いはじめたら、彼女ができました」という報告があったように、男を奮起させるものはあるだろう。

同様なことが、まふまふさん、みけねこさんにも起きたのではないか?

ファンから声援をうけて愛情という気持ちが高まった結果、二人の恋愛がブーストされたのかもしれない。

だとすれば、二人が結婚することでファンが離反するかもしれない危険性は、自分たちの幸せの土台を崩すかもしれないとは予想しなかったのだろうか?

当然、それを予想しているからこそ、二人は、これまで秘密にしていたとは言えるだろう。

では、ファンから祝福されないことが分かっていて結婚することに問題がないと考えていた理由は何であるのか?

二人とも週刊誌による暴露後には、秘密にしていた罪悪感はあるとは述べられていたから、後ろめたさのようなものはあったのだろう。しかし、それが結婚してはならないというほどの問題だとは考えていなかったのだとは思える。

ここはファンによっても温度差があるところだろうし、議論が沸騰するポイントでもあるのだろう。

週刊誌の報道を受けたあとのホロライブファンの反応でも「運営がクビにするには理由があったんだな」「そりゃ、首を切られて当然だな」などという妙な納得をされている人も多く見られたが、そうゆう考えをする人が少なくないことは確かめられた。

日本式アイドル売りは交際厳禁という暗黙のルールが定着しているから、ホロライブがアイドル売りをしてしまった以上、そうゆう反応になるのはおかしくはない。

アイドル売りを弱めている現在でも、そのような反応であれば、2022年2月に本当のことを公表していたら、問題は、るしあさん一人に被せるだけですまなかったことは想像できる。

それをごまかすために3日考え抜いた罪名が、情報漏洩という分かりやすい名目上の罪であり、実際に、うまく自社のタレントの売り方の責任逃れができたとはいえるかもしれない。

だが、いまだ、その問題は残っている。

現在も、ホロライブファンの少なくない層に、そのような反応があることは、どう考えてもホロライブにとって良い状況ではないだろう。

2023年のホロライブexpoから、フェスティバルのような扱いにかわって、アイドルの晴れ舞台というイメージは払拭しようとしているのではないか、という予想はある。

しかし、その努力も十分ではなく、いまだホロライブという豪華客船の航路には見えない氷山があるようには感じられる。

このままでは、バレた、もしくはバレそうになったタレントから、順に情報漏洩という罪で契約解除されてゆく未来しか見えない。

ここは、今後、どのように方向修正してゆくべきか未だ課題ということだろう。

タレントからすれば、結婚は当人の問題であり、運営が指図するべきものではない。当然、それは人権侵害でもあり、いまどきはNHKの体操のおにいさんでも、いまはプライベートには関知しないという立場をとるように変わっている。

プライベートの交際そのものを運営側が問題とすることは、もはやあり得ないし、それを期待するファン側のほうがおかしい時代になってゆくのだろう、とは思う。

かつては、そうではなかった。

ジャニーズが崩壊したあと、裏話的にいろいろ話が聞こえてくるが、やはりジャニーズタレントは交際または結婚したいという希望を事務所に伝えると、メリーさんから「だめにきまっているでしょ、結婚するなら辞めてから」と言われて、それで恋も冷めた人もいるようだ。

売り方を事務所が決めている以上、それに従うしかない。タレント本人にとって、ジャニーズを辞めるということは夢を諦める、人生を捨てるに等しいから、仕事をとる人が多かった。

(ホロライブでも、もしかすれば、いまの自分の立場を失うことが怖くて、恋愛を秘匿しているか、捨ててしまった人もいるかもしれない。)

しかし、今後は、そうならないだろう。

1980年代のようにファンがタレントに憧れに近い疑似恋愛しながらも、タレントはタレント同士で恋愛し結婚するような、本来のあり方に戻るのではないかと思える。

これが本来あるべき正解なのだとは思う。

子供が年上のお姉さんに恋心をいだきながら、そのお姉さんが結婚してゆく過程をみて、自分の恋愛観、人を好きになる感情を育てるようなストーリーが、人類史的には正しいのではないかと思える。恋愛のメンターモデルとしての、あこがれの人であるべきではないか。

疑似恋愛売りに正当性があるとすれば、この部分ぐらいであろう。

また、ジャニーズでも、木村拓哉さんの例のようにメリーさんに反対されても説得できた人もあり、実際、それで木村拓哉さんの人気が下がったということもないだろう。実力があり、結婚しても憧れの人でありつづけるだけの人であれば、なんら問題はなかった、ということでもある。

このような、ファン、タレント、運営の3者間で、「意図的に見解を統一していない部分」が、恋愛というデリケートな部分なのだろう。

ガチ恋売りというものは、タテマエとしてはタレントの交際を禁止するが、実際には禁止できるものではない。できないものを、できるという前提で商売している欺瞞がある。

(AKBなどは本人たちが自主的に自分に課しているルールというタテマエではある。)

しかし、類似する業態としては、キャバクラや風俗といった水商売は、昔からある。

名前も偽名、年齢もサバ読みし、出身地や家族構成もすべて嘘の設定で、その場だけで成立する擬似的な人間関係、恋愛関係を楽しむようなものは、昔からあっただろう。

日本の「花魁」のような人たちが独特の言葉を使うのは、出身地を隠すためという。現実の地元が知られては、客が興ざめするからであろう。タレントのプライバシーを守るためとかではない。(身請けするくらいの関係になったらプライベートも知ることになるのだろう。)

初期のVTuber界隈が「創作物としての架空人格」としての売り方が胡散臭く思われ、バーチャルキャバクラ呼ばわりされていたのは、この部分でもあろう。

その売り方が不味いことは、すでに2018年以降からの数々のトラブルで明らかではあろう。現在は、多少なりとも「現実に紐づいた人格」であることが望ましいと考えられる。

結局、VTuberさんは収益/商売としているかどうかはともかく、サービス提供者と、その需要者という関係ではある。これは店主と客ではない。作家と読者のような関係である。

VTuberのタレントとはクリエーターやアーティストであってキャストさんではない。だから、読者が、作品に文句をつけることは、作家のプライドとして許さないだろう。

そのような性質からすれば、VTuber活動の本質は「客商売ではない」と考える。(商業雑誌で連載している漫画家でさえ、客のために作品を書いているわけではない。)

しかし、企業勢にしろ個人勢にしろ、男性にしろ女性にしろ、VTuberさんたちは、だれであっても半分は生きたキャラクターという側面でロールプレイをしていることもあり、加えて、商売上のマナーのようなものとして、リスナーに対して丁寧な接し方をする人が多いとは思う。

ここでタレント本人が、自分は運営に雇われたキャストであると認識しているか、アーティストとして運営に協力・参加している独立の立場と認識しているのか、という見解の相違によって、ファンに対する態度も変わるのだろう。

おそらく、2022年時点の「るしあ」さんは、ホロライブのキャストさんだったのだろう。

最近も、「自分は運営に所属することでやる気が出るタイプ」だと話されていたことからすれば、当時も、ホロライブのキャストとして頑張っていたことは想像できる。(だから、今後も、組織に所属すれば、そのようなものになることも予想できる。危なさはある。)

だから、キャバ嬢と同じように、商売上のロールプレイとして、その場だけで成立する客との疑似恋愛関係を楽しませるショーを提供しているという認識だったのではないか?

まふまふさんもアーティストではあるが、ファンとの関係はホストクラブのような客に夢を見せる関係という意味での疑似恋愛だと認識していたのではないか、という予想もできる。

実際、リアルを見せず、源氏名で非現実的/理想化された関係性を演ずることで客をもてなす行為は、ホストクラブ、キャバクラはもとよりコスプレ・メイド喫茶のようなものもそうであり、「お嬢様」「御主人様」と呼ばれるような関係のロールプレイを楽しむようなものは広く受け入れられている。この業態が提供するサービスとは「現実からの一時的な逃避」であり、現実では得られなかった社会的、感情的ニーズを満たすためのものである。

現実から隔離された幻想的空間で、源氏名を使うホストやキャバ嬢と一緒に時間を過ごし、非現実的、または理想化された人間関係を築くことで、彼らの提供する架空の人間関係での接客サービスを楽しむことが目的である。

それとVTuber/歌い手のあり方は、そのように捉えることもできる。

2018年前後にうまれた多くのV企業は、もともと推し活ビジネスという名のもとにキャストにキャバ嬢やホストのようなことをさせたいと考えていたのだろう。

まさに、にじさんじの掲げる「夢のような体験」とは、そのようなものであろう。

ただし、実際に、にじさんじライバーがファンに受け入れられていたのは、その人のパーソナリティであって、架空人格としてのキャバ嬢・ホストとしての関係ではない。いまでも、そのような売り方をさせようとしているようだが、その路線は間違いだと私は思う。

sage 2022/02/11(金) 00:19:52.09
なんか自分は蚊帳の外で1人ではしゃいでた、いい歳こいたアホだって分からされたわ。
結局、配信外では金もあるし男も選び 放題で人のつながりも有名人とか金持ちばかり。
そんな相手にたいして金もないのにスパチャして関わった気になってただけだった。
まふまふって人は良く知らないけども、人としてのステージがそもそも違いすぎる人達の交友を、下の方からアホ面で気づかないふりしながら、その輪にいると勘違いしてただけだった。
裏でお幸せに。

【みけねこ構文】 https://twitter.com/watergate213617/status/1491796615610339343

このような悲劇は、売り手と買い手の、何を売っていたのかという思い違いであり、お金を出せば恋人や友達ができると思っていたのであれば、そう思っていたほうがおかしいのであり、そう思わせるような売り方をしていたのであれば、売り方を非難されるのは当然だが、それを買えると思っていた方も同罪ではないのか。

ANYCOLORもバーチャルキャバクラそのものともいえる「ユメノグラフィア」はステークホルダー様のご懸念により終了したことからも、この露骨な路線はまずいという認識は企業側でもあるのだろう。(しかし、おそらく「すとぷり」は、その路線ではある。その路線にニーズがあることもわかる。)

しかし、二人が、そのようなキャバクラ・ホスクラ的な関係としてファンを見ていたのであれば、プライベートを隠すことそのものは商売上の正当な都合であり、ファンに対する裏切りとは考えてなかったのではないか?

そうだとすれば、二人が、どうしてファンに祝福されないと知っていながらも結婚しても問題ないと考えていたのかは理解できるように思う。

客は自分のプライベートと関係ないからだ。

(だから、それを理由に運営に契約解除されることに反発したであろうことも想像できる。)

この点については、腹を割って話すようになった1年くらい前からの「みけねこ」さんや、今回のまふまふさんの素の感情を見せるような文章からは、現在は、プライベートもファンにもある程度開示しており、ファンを無関係にはしていない。

二人とも、いまは「実在するアーティスト」という立ち位置ではあろう。かつてのような正体を隠す売り方ではないとは思う。

みけねこさんも、もし、このようなプライベートと切り離す売り方をしていたのであれば、100万人のファンは「るしあ」という架空のキャラクターとの関係を望んでいたのであり、「みけねこ」という自分との関係ではない、という認識で売っていたのだろうか?

ファンから叩かれ反転され去ってゆくことに苦しんでいたことからすれば、本意ではなかったのだろうとは思う。

今後もそうしつづけるのかは分からないが、少なくとも、Vや歌い手とは、キャバクラ、ホストクラブのような架空の人間関係だから、客と自分のプライベートは関係ないという言い訳ができるような業種でなかったことは、すでにはっきりしていることは言える。

肉体がない関係だから「嘘でもいいから、いまは、この時間を楽しみたい」と思わせるようなものがないし、そもそも必要がないからだ。

もともとネットには、社会的属性をとっぱらった、その人の人格性を楽しめる土台があって、アバターを通じることで、もっと高次元のメタの関係を楽しむことが、VTuberやネットのタレントはできるからである。その上で嘘をつく必要はない。

ガチ恋という肉欲を売りにすることは、チートではあったが、ネットのタレントの本質から、もっとも外れた売り方だったのだと思う。

【ネットのタレントとリスナーの関係性は同一線上にある、同じコミュニティにある】

V界隈は、外のコンテンツとの大きな違いとしてDD(誰でも大好き)の関係性で成り立っている。だれかのファンは、ほかの誰かのファンでもあることが一般的である。これは、おそらく、アイドル好きな人たちとは、かなり違う性質ではないかと想像できる。

また、そういったファンが全員独身、全員フリーであるわけでもない。

既婚者もいれば彼氏・彼女持ちもいるし、V以外に愛する妻や娘・息子がいる人もいる。

それらの多種多様なファンから向けられる、VTuberに対する好意や熱狂というものは、もとから現実の恋愛関係のようなものではない。それを含む、もっと広いものであろう。

そもそもリアルアイドルであったとしても、疑似恋愛に頼らなければアイドル活動できないなどということは無い。女性アイドルにも女性ファンがいるように、憧れの存在であれば十分であり、ローカルアイドルには既婚者であっても活動している人たちもあり、疑似恋愛が必要なわけではない。

単に商売するうえで、手っ取り早いチートとして恋愛感情を利用しようとする企業が多かっただけであり、そのチートの代償は、タレント自身の名誉や尊厳が傷つけられることであり、スキャンダルによって運営が打撃を受けることでもあろう。

ガチ恋営業などするから自分の恋愛もファンの恋愛も縛り合う形になってしまっている。

本来、それは無用なものであることは、すでに述べた。

奇しくも、理想的なファンとタレントの関係、推し活とは、どのようなものであるべきか?という問いは、るしあさんのファンだった「受験生だったファンデットの嘆き」に、その答えが見える。

これは私にとっては、とても考えさせられた、素晴らしい生き方だったと思う。

かつて、ホロライブファンで「るしあ」さんのファンだった学生が、受験勉強のためにVTuber断ちして勉学に専念して合格発表があった日、「るしあ」さんの契約解除を知って、愕然としていた、という事例が話題になったが、ツイッター上(現X)では、同情とも感傷的ともいえる感想があったが、この出来事についていえば、私は、むしろ、彼が、とても優秀で人生を成功させられる素養のある若者だろう、という驚嘆のようなものを感じた。

子供が大人に憧れるのが正常であるように、まだ未熟な人間ほど、目指すべき高潔な人間に憧れるべきであるように、「あこがれの人」「なりたい人」としてのメンターロールモデルは絶対にあったほうが良い。モチベーションのない人生は、張り合いがない。

異性のアイドルに恋い焦がれているならば、その人と対等に隣に立てるような、人から憧れるような社会的評価のある人間になりたいと願うべきだろう。

人の価値は社会的評価で決まるわけではないが、社会的評価をもつ人と並び立つためには社会的評価が求められるだろう。そうでなければ他人から見て不釣り合いになるからだ。

それを目指したいと行動を起こしたとしても、実際に、その夢を叶えられる人は少ないかもしれない。

だが、その努力は無駄ではない。

アイドルほどの社会的評価を得ることはできなかったとしても、努力したのであれば、以前よりも、人としての魅力は増している。

中高生男子であれば、「ふさわしい男になりたい」というモチベーションから、筋トレに励んだり、勉学に励んだりするのだろう。

その結果、身近な女子からモテるようになるかもしれない。

それは絶対に良いことのはずである。

VTuberは、見た目はアニメ調だとしても中身が実在し、テレビと違ってネットの双方向性があればフィードバックを得ることができる。努力したことを伝えれば、それが的外れであるのか、褒めてもらえることなのか、反応を知ることができる。

アニメキャラクターは不可能で、テレビの向こうの俳優やアイドルには困難なことが、ネットのタレントでライバー勢であれば、それが可能である。

推しとの恋愛の見込みがあるかどうかにかかわらず、「誰かを敬愛し、それに近づく努力として」「努力を奮起させるもの」としての推し活であるかぎり、それは常に正当だと思う。

とくに、VTuberは若年層(中高生)が多いジャンルであり、しかし、リアルアイドルと異なり、タレント自身はアイドルほどには幼くはない。年上のものとして、自分のファンにとって、憧れの人であるように振る舞うべきだろう。

YouTuber/VTuberは、あるいは、歌い手さんたちも、小中高生の男女が、なりたい自分の姿に重ねられるようなものでなければならない。

地下アイドルやメディアの商業アイドルたちのような、社会経験も何も知らない15歳前後の少年少女たちが、営利企業の大人たちにいわれるままに指導され演じ、同年代や少し上の年齢の異性を引き付けているものとは、まったく構造が異なる。(にじさんじのタレントは全般的に若そうではあるが。)

本当に、憧れの人に近づきたいと思っている人ならば、推し活といわれるものをするのではなく、自分自身が、その道に入るだろう。そのビジョンが見えている人にとって、最短ルートは、ファンという立場に固執する「推し活」ではない。

むしろ、ネットのタレントはリスナーと地続きの同じ平面上にあり、自分が対等なタレントという立場にさえなることができる世界である。

むしろ、アイドル自身が、憧れのアイドルを目指してアイドルになった。アイドルになって、一定の手応えがあって腹落ちしたころに、身の振り方を考えるのであろう。かつてはステージに引き上げられたという選抜が、ファンとの境界線だった。

いまはアーティストもセルフプロデュースの時代であり、地下アイドルとステージ下のファンとの距離は数センチの違いでしかない。ネットのタレントは物理的距離ではなく才能という同一線上にある。メディアによる選抜(エリート)はいらない。

この世界において推し活は、マス系タレントのいう古典的な推し活とは次元が異なる深さがある。同人の世界に近い、自分自身がファンのいるタレントでありつつ、自分自身が誰かのファンでもあることが、生主/キャス主/YouTuber/VTuber界隈では、当たり前であろう。

であるならば、一般的に「推し活」といわれているグッズの購入やイベントへの遠征などは、推し活の本質ではないのだろう、ということもわかる。

推される側も、推す側も、人間性の成長、魂の成長というものがない。そのような、ただ時間と金と命を浪費するだけの活動であるならば、娯楽としての範囲を超えてはならず、それ以上は有害だと言わざるを得ない。

推し活が「人間性の向上=人としての成長」になるためには、単に「敬愛を示すプレゼント行為」だけではダメで、憧れているものに「近づくための努力」が伴わなければならない。

たとえば、相手がアニメキャラの二次元著作物だったとしても、それに憧れているだけであれば代償行為かもしれない。しかしオタクであればファンアートや二次創作からはじまりオリジナルを始め自分がクリエーター側になれる。あるいは才能がなかったとしても布教や、作者を直接支援するパトロン、サポーターとなることもできる。現実に近づくとは、そのような努力を言うのではないか。

そのような現実に根ざした努力のない推し活とは、なにを目的としたものであろうか?

単に代償行為、娯楽の延長としての推し活であれば、それに本気になるべきではないし、余暇、暇つぶし以上のコストを掛けるべきものではない。

それには、「求める側と与える側の双方が、人間性の成長を目的としていなければならない」ということである。

かつて、どっとライブのアイドル部にハマっていた時に考察したように、「『親愛の情』の先には『敬愛の情』がなければならない」という直感は、ここに帰結された。

私が見たいものは、そこにあるのだと改めて思う。

だから、いまの「みけねこ」さんについて私は関心をもつことができているともいえる。(私にとって、旦那がいるかどうかは問題ではない。問題は企業のキグルミキャストになるかどうかである。)

いくつかの間違いは確かに犯しているだろう。真剣に考え、悩み、人生の選択を真剣に選びつづけていることは、本物だと思っている。

人生において推し活はどうあるべきか?という問いにつながる、これについては、2023年振り返り日記として、次の日記にまとめられたらいいとは思う。

以上、終わり。

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